#6 合同作戦

 無機質な廊下で、軽やかに女が踊っている。
 悪夢のように派手な女だ。眼鏡の奥で琥珀色の瞳がどろりと輝いていた。けらけらと笑いながら、意味もなく壁や戸に触れている。
 何がそんなにおかしい、と聞いたかも知れない。
 あるいは、あまりきょろきょろするな、とたしなめたのかも知れない。
 女はこちらの言葉に薄く目を細め、舞台歌手のように大仰に両腕を大きく広げて見せた。
「だって、君のお城に来るのは初めてだもの! 君は絶対ここにわたしを入れてくれなかった! はしゃいじゃうよ!」
 甲高い声に頭痛がする。
 確かに、頭の痛くなるような事情でもなければ、この女をここに招き入れはしなかった。その『事情』は先日すでにさんざん説明したし、その時にもこの女は天井の外れたような歓声を上げていた。いい加減にして欲しい、というのが正直なところだ。
「心配しなくても、もともとログなんか残ってないし、監視カメラにも君の映像は残ってない。実際にあそこへ行く君を見ていないなら、関係あるなんて分からないよ。
 約束したじゃない。『君』が『君』でいられるために、わたしは精いっぱい協力するってさ」
 ……そうだっただろうか。女の言葉につられて昔のことを思い出そうとしても、思考に霞がかって上手くはいかない。
「それより、心配なのは君の方でしょ? 派手にやられてたじゃん。『君』らしくないんじゃないの?」
 白衣をひらめかせながら、女がくるくると回っている。
 女の言葉が毒のように染み込み、体が重く沈みそうになるのを振り払うようにかぶりを振った。
 先日のことを、下手を踏んだとは思っていない。シミュレーションでは、成功する確率の方が高かった。リスクを取って最善の手を打っただけだ。そもそも今回のこと自体が、次回への布石に過ぎない。調整をして、次に生かせればそれでいい。
 それよりも、この女がそれを把握していることの方が気になった。
「んー? そりゃ、『君』のことはいつだって追っているよ。
 わたしはなんたって、『君』のファン第一号だからね」
 ……いけしゃあしゃあと、よくも言ったものだ。
 頭痛は、ますます酷くなっている。体から何かがぶれて剥離していくような、強い違和感があった。その違和感を突っつき回して抉るような、この女の口ぶり。
 恨み言を言おうとしたが、形にはならなかった。女は満足げに笑っている。くびきを嵌めて、乗りこなせていると思っているのだろう。いい気なものだ。
「――それじゃあ、ぱぱーっと終わらせちゃおうか? そろそろまずそうだしさ、早く楽になりたいでしょ?」
 じゃらじゃらとアクセサリーを付けた、その頸に手をかけるのを、どれほど長いあいだ堪えていただろうか。


 湿ったコンクリートの上を、薄く引き伸ばされたような朝靄が漂っている。
 今朝はまだ残像領域の霧は薄く、弱々しい朝焼けが辺りを赤く照らしていた。
 『キャットフィッシュ』のタラップを降りてコンクリートの地面の上に降り立ち、エイビィは身を固くする。
 飛行場には、『キャットフィッシュ』と同じような小型艦のほかに、DRや戦闘機、『テンペスト』の姿があった。……先日、下手をうって『テンペスト』に撃墜されたばかりだ。ただし、緊張しているのは、墜とされた時のことを思い出したからではない。
 所属している『シルバーレルム』ではなく、マヴロス・フィニクスから直接こちらへ依頼が飛んでくるのは珍しい。
 しかも、その『冠羽』や『尾羽』ではなく、全く別の会社と連携を取って作戦を遂行するように命じられるのは、これは全く初めてのことだった。企業連合が主宰するハイドラ大隊へ参加し、企業とは直接関わりのないハイドラライダーたちとともに戦うのとはわけが違う。どういった意図によって出された指示なのか、エイビィもまだ掴めずにいた。
 もちろん、拒否をする、という選択肢はエイビィにはない。ハルはまたもや『ライズラック』へエイビィを近づけまいとする構えを取っていたが、今回は状況がそれを許さなかった。エイビィも、のんびりと休暇を取り損ねた、といったところだ。
 エイビィは振り返り、タラップの上で立ち尽くしているハルを見上げる。まだへそを曲げているかと思ったが、今はここに集められ機体たちのほうが気になるようで、どこかぼんやりとした顔で機械の群れを見下ろしている。
「ハル。行くわよ」
「……ざわざわしてる」
「作戦前だわ、みんなピリピリしている。機械も、人間もね」
 とは言え、この緊張感は、作戦前であることだけが原因ではないだろう。
 すでに、マヴロス・フィニクスの人間と他企業の人間が集合して、作戦の準備をしている状態だ。
 合同作戦とは言え、普段から企業間戦争をしているような会社同士の人間がひとところに集められているのだ。こうした雰囲気にもなる。
「エイビィ!」
「……ああ、なるほど。なるほどね」
 聞こえてきた覚えのある声に、エイビィは頭を押さえた。……忌々しいことに……すっかり見慣れた顔が、朝靄の中を息を上げて走ってくるのが見える。ダリル=デュルケイムだ。
「あなたって、本当に警備部の人間よね?」
「自分が何でここにいるのかは、俺も気になってるところだ。けど、あんたもそうなんじゃないか?」
「ノーコメントよ。
 あなたと違って、仕事の内容をべらべら他人に話したりしないの。部隊から離れて、一人でうろついたりもね」
「今日は違う。警備から招集されているのは俺だけだ。だから、何も分からないんだが」
 困った風でもなく首をすくめて、ダリルは周囲を見回す。確かに、飛行場にハイドラの姿はほとんど見られなかった。
 作戦の内容自体はさほど変哲のない、プラントへの襲撃だ。企業間戦争は残像領域ではありふれており、責められる類のものでもない。他企業との合同作戦自体、身内同士ですら食らい合うマヴロス・フィニクスにしては珍しいが、たまたま利害が一致しただけだろうとも考えていた。だが、警備部からわざわざダリルを引っ張ってくる理由が分からない。
「実のところ最近、警備部を外に出すケースが結構増えてるんだ」
「……あなたって、聞きもしないのにいろいろと教えてくれるのね」
 ただ、知りたかった情報ではあった。
 ダリルの所属しているのは、マヴロス・フィニクスの中でも特に大きな力を持った企業群――『冠羽』の敷地を護る警備会社だ。いくら人手が足りなくとも、そうそう外には出されない部隊である。それらを動かし、自ら無防備になるというのは、どういうことか。あるいは、何かを誘っているのか。
「また、身内で戦争でもやるつもりかしら」
「こっちでもそういう噂になってる。――やあ、久しぶり。俺のこと覚えてるか?」
 タラップを降りてきたハルに、ダリルが不意に破顔して声をかける。ハルはびくりと身をすくめて、タラップの裏に隠れた。
「ハル。そこ、危ないわよ。……あんまりあの子をおどかさないでちょうだい」
「声をかけただけだろ? 相変わらず人見知りなんだな。
 ああ、でも、安心してくれ。俺は会社で戦争が起こっても、あんたに敵対することはない」
 話を戻し、力強く頷くダリルに、エイビィは眩暈を覚えて首を振る。
「何をどう安心すればいいのか分からないんだけど」
「だから、あんたにも体を大事にして欲しい。今はまだ、思い出せないかも知れないが、俺は待ってるから……」
「……あなた、前より具合が悪くなってない?」
 思わず半眼になり、エイビィは何故か胸を張るダリルをねめつけた。ダリルは相変わらずこたえた様子もなく、再び視線をうろつかせる。
「ハイドラライダーの集合場所は、ここから少し行ったところだ。案内するよ。……その子も来るのか?」
「ええ」
 振り返ると、ハルが恐る恐るながら、タラップの陰から出てくるところだった。


「どうした?」
「……いえ、何でもないわ」
 エイビィはかぶりを振り、先に歩くダリルを追って足早に歩き始めた。なぜ立ち止まっていたのか、自分でも分からなかった。
 ダリルに案内されたのは、飛行場を横切った場所にあるプレハブだった。いかにも急ごしらえという風ではあったが、薄い壁で区切られた部屋がいくつもあり、それらをつなぐ廊下も設えられている。
「ここだ」
 簡素な引き戸の前で立ち止まり、ダリルがこちらを振り返った。
「向こうの会社からも何人かハイドラライダーが参加してるから、顔合わせくらいはしておけってさ」
「――」
 扉を親指で示すダリルの指先を見つめて、エイビィはふと言葉を失う。ここに来てから感じていた緊張感が、この部屋から放たれているような気がしたのだ。
 なぜかは、分からない。ただ、ここに何かあると、予感があった。
「エイビィ?」
「……大丈夫、開けて」
 訝しげな顔でダリルが扉に手をかける。
 通路と同じよう、部屋の中もまた簡素だった。折り畳み式の長テーブルとパイプ椅子が並べられ、数人が思い思いに時間を潰している。知らない顔は、おそらく他企業のハイドラライダーだろう。
 息をひそめて、部屋の中を見回す。
 窓の近くに、壁にもたれるようにして立っている女性がいた。彼女もハイドラライダーだろうか。金髪をまとめて引っ詰めにした、神経質そうな女だ。詩集か、小説か、洒落たデザインの、古びた文庫を広げている。
 ふと、ページをめくっていた手が止まり、遅まきながらこちらへ視線を向けた。その蒼い目が、見開かれる。こちらも恐らく、同じような顔をしていたのだろう。
「――オーガスト?」
 朱の引かれた唇が、呆然とその名前を紡ぐのを、エイビィはどこか遠くで聞いていた。


 翅がない、とダリルがつぶやくのを横で聞きながら、エイビィは濡れたタオルを額に当てている。
 ダリルの言う通り、『ライズラック』からは、少し前までアセンブルされていた飛行ユニットが外されていた。代わりにその背についているのは、四基のブースター……それも『重』ブースターと呼ばれる、より出力が大きく、よりエネルギーを食う補機だ。
 付け加えるならば、スズメバチを思わせる『ライズラック』の頭部も、機体のバランスを保つために付けているだけで、HCSには接続されてはいない。
「戦場に合わせてアセンブルを組み替えるのがウォーハイドラよ。あなただって、今回は領域殲滅兵器を外しているんでしょ」
 体温を吸って温くなったタオルを下ろし、エイビィは決まり切った文句を吐いてダリルと『ライズラック』を横目で見上げた。
 普段は『キャットフィッシュ』の『ラック』に横たえられている小さな機体は、今は直立して待機している。ハルはその足元にうずくまるようにして、『ライズラック』を見つめていた。視線を巡らせると、黒々とうずくまる『ステラヴァッシュ』の巨体も目に入る。
 顔合わせもそこそこに、エイビィたちはすぐに飛行場に取って返すことになった。出撃の命令が出るまで整備や調整に集中しろ、という話だが、何とも胡乱な指示だ。
 あるいは、マヴロス・フィニクスの悪い面が出ているのかも知れなかった。横の連携ができない結果、作戦が固まりさえしない、といったような。
 飛行場の一角には、ハイドラ大隊における通常の任務と同じように、おおよそ二十機のハイドラが集められている。その大きさや形状は様々だが、渡されたデータを見る限りではバランスは悪くない。無作為に呼び出した、というわけではなさそうだ。それだけに、警備部のダリルが浮いてはいる。
「エイビィ、あんた、MPうちの新製品について聞いてるか?」
「なぁに、また情報リーク?」
「――この前、『ライズラック』と似たハイドラと戦ったんだ。しかも、二機」
 声を潜めたダリルの言葉に、エイビィは眉根を寄せる。
 『ライズラック』のアセンブルは、取り立てて珍しいものというわけではない
 動きの速い前のめりの軽逆機は残像領域ではありふれているし、アセンブルの模倣自体はよく行われている。エイビィも、他の機体を参考に機体を組み替えることはよく行っていた。つまり、取り立てて『ライズラック』に似ている、と言う場合は、その外観が似ているという意味になるが。
「その『ライズラック』もどき、飛行ユニットをアセンブルしていなかったんだよ」
「……『翅』を外したのはここ数週の話よ。こちらの最新のアセンブルを参考にしているのなら、そうなるわね」
「それ以外にも、大隊に参加しているハイドラと似た奴を見かけた。操縦していたのは、全部AIだった」
「AI?」
 目を瞬かせて、ハルがこちらを振り返った。
「AIがハイドラをうごかせるの? ライセンスは?」
「……そういやそうだな。じゃあ、あれはHCSを使ってなかったのか?」
 今気が付いた、というような顔をして、ダリルは首を捻った。
 HCSは、ライセンスがなければ起動することはなく、ハイドラのパーツもガラクタに過ぎないというのは常識だ。……だが、物事には抜け道がある、というのもまた事実だった。
「なにか、きな臭い方法を使っているのかも知れないわね」
「きなくさい?」
「さあね。あたしはそのもどきの操縦棺を暴いたわけではないもの」
 タオルを手持無沙汰に手の中で弄びながら、エイビィはハルにかぶりを振ってみせる。
「――頭痛、もう大丈夫なのか?」
「問題ないわ」
 思い出したようなダリルの声に、エイビィは軽く頷いてみせた。
「まさかこんなに短い間に、何度も誰かに見間違えられるなんて思わなかったけれどね」
 冗談めかして言ったつもりだったが、ダリルは笑みを浮かべることはなかった。
 確かに、ダリルからすれば笑えない話だろう。ダリルにとっては、エイビィは『ウィリアム=ブラッドバーン』なのだから。
 ――オーガスト。
 自分のことをそう呼んだ女の顔を思い出し、エイビィもまた陰鬱な気分になった。
「彼女のこと、知っているのか」
「初対面よ。彼女も、すぐに勘違いだって言ったでしょう」
「そう……そうだよな」
 ダリルは硬い表情のまま、顔を俯かせた。この男がこれほど暗澹とした顔をしているのを見るのは、もしかすると初めてかも知れない。そう思えば小気味よくはある。
「言っておくけど、あたしはウィリアムでもオーガストでもないからね」
 ダリルからの返答はない。自分と同じようなことを言い出す人間が現れて、多少は正気に返ったのかも知れない。
 エイビィは首をすくめて、再び視線を巡らせた。
 出撃の命令は、まだしばらくは下されそうになかった。機体の傍に立つハイドラライダーたちも待つのに飽きてきたのか、どこか緩んだ空気が漂っている。作戦の説明もろくろくなく、こうやって放置されては、緊張も長くは続かないということだろうか。
「あっ!」
 ダリルが不意に顔を上げ、素っ頓狂な声を上げた。エイビィはつられてそちらへ目を向け、息を飲む。
 エイビィを『オーガスト』と呼んだその女が、霧の中、こちらへ向かってまっすぐに歩いてくるところだった。


「さっきはいきなりごめんなさい。――死んだ知り合いに似ていたものだから」
 チャーリー=キャボットは、どこか既視感を感じさせる詫びの言葉を述べた後に、そう短く付け加えた。
 彼女を怨敵のように睨み付けていたダリルは、その言葉を聞いてほっとしたような、油断ならないような、何とも言えない面持ちに変わってエイビィとチャーリーを見比べている。
「気にしないで。前にも誰かさんに同じようなことを言われたわ。面影を重ねやすいのかしら」
「……」
 ダリルの視線が突き刺さるのを感じながらも、エイビィは手を振って見せた。ダリルはエイビィをチャーリーから隠すように前に出て――実際、ダリルが間に入ると、エイビィはすっかり隠されてしまう――唇を引き結ぶ。
「彼が?」
「そう。あたしが死んだ知り合いに似ているんですって」
「ビルは死んでない……」
行方不明の知り合いに」
 呻くようなダリルの言葉に、エイビィは気のない声で訂正する。チャーリーは目を瞬かせ、気の毒そうな顔でダリルを見上げた。
「……そう。行方不明なら、なおさら諦められないでしょうね。私でさえ、まだ彼が生きているような気がしているもの」
「旦那さん?」
 エイビィがそう問いかけたのは、チャーリーの胸元でチェーンに通された指輪が揺れていたからだ。チャーリーはあいまいに頷いて、指輪を手に取った。
「そうなるはずだった予定の人よ。でも、脚だけになっては結婚はできないからね」
「それは……気の毒に」
 話を聞いているうちに、ダリルは多少落ち着いたようだった。自分の話のようにしょげた声を出す。
「ハイドラライダー同士の結婚なんてするもんじゃないって、付き合う前から言い合ってたのよ。
 ……お互い分かってたし、私も割り切ってたつもりだった」
 チャーリーは苦笑いすると、指輪から手を放した。
「でも、駄目ね。あんな風に見間違えるなんて。――もう二年も経つっていうのに」
二年?」
 チャーリーの言葉を聞きとがめ、ダリルが鸚鵡返しに聞き返す。エイビィは目を細めて、ダリルの背中を叩いた。
「そろそろ戻った方がいいんじゃないかしら? 一応、今は待機中でしょう」
「いや、でも……」
「いいえ、本題はそっちよ。マヴロス・フィニクスのハイドラライダーさん」
 軽く手を上げて、チャーリーはダリルの言葉を遮った。
「その待機の時間がいくらなんでも長すぎる。そちらは何か聞いていない?」
「――あたしは特に何も。ここに来て、『上』で喧嘩でもあったんじゃないかって思ってた」
「それって、おたくではよくあることなの?」
「横で連携して動く時には特にね。他社との合同作戦はあたしは初めてだけれど、うちはどうも好きにやりたいみたいだわ。
 ……でも、そうね。この間の取り方は、もしかしたらトラブルではないかも知れない」
 チャーリーが沈黙したまま、ぴくりと片眉を跳ね上げる。もってまわった言い方をするな、と言いたげだ。
 エイビィは口の端を緩めて『ライズラック』を振り返った。いつもの人見知りを発揮したハルは、こちらから少し離れて、知らん顔で『ライズラック』を見上げている。
「ハル、何か変な感じはある?」
「……うん。でも、ざわざわがずっとつづいてて、よくわからない」
 顔を背けたまま、ごく小さな声でハルが答える。エイビィは息を吐いて、チャーリーに向き直り、
「ただの勘よ。杞憂に過ぎないかも知れない。
 でも多分、『上』は何かを待っている。戯言だと思って、もう少しここでだべっている?」
「…………ハイドラに戻るわ」
「賢明ね」
「できれば、あなたたちとことを構えるのは避けたいわね。
 私は、引鉄を引かないけれど」
 それだけ言い放つと、チャーリーは足早に立ち去って行った。その小柄な背をすっかり見送った後で、エイビィは大きくため息をつく。
「……どういう意味?」
「さあね。あなたも戻りなさい。と言っても、まず何かを見つけるのは、彼女でしょうけど」
 軽く手を振って訝しげな顔のダリルを追い払うと、エイビィは『ライズラック』に向かって歩き出す。
 ――接近する機影がある、とチャーリーから通信が飛んできたのは、それからきっかり五分後のことだった。


 霧を割いて迷いなく飛来したミサイルが、迎撃用のフレアによって方向を狂わされ、もんどりうって自爆する。
 ハイドラとハイドラがぶつかる音。速射砲が金属を叩く音。コンクリートが抉られる音。エイビィは頭を押さえながら、周囲の音に耳をすませる。――飛行場は、混乱の様相を呈していた。
 こちらへ向かう機影をチャーリーが確認してから、既に十分以上が経過している。
 にも関わらず、こうして飛行場で迎え撃つ形になっているのは、『上』から許可が下りなかったからだ。ハイドラたちは先行して攻撃に出ることもできずに、個々の判断によって対処するしかなくなっていた。とは言え、いつものことと言えばいつものことだ。
 向かってくる小型ハイドラの突撃をすんでのところで躱しながら、『ライズラック』は低空を移動し続ける。
 四基の重ブースターによって、『ライズラック』は周りにも増して深い霧に覆われていた。外部カメラでは、伸ばした腕の先さえ確認できない。
 常ならば表示されているレーダーの表示も、頭部をHCSへ接続していないために今はなくなっている。霧の中で相手が『ライズラック』を見えない以上に、こちらも周囲を確認できない状態だ――本来ならば。
「……『ヴォワイヤン』」
 『ライズラック』の突き出した粒子スピアが、ハイドラの背に突き立てられる。
 本来ならば、表示されていないはずのレーダー図が、画面には映し出されていた。もちろん、『ライズラック』のレーダーによるものではない。
「ヴォ……?」
 エイビィのつぶやきを聞き咎め、ハルがシートの中、Gで顔を白くしながらも聞き返してくる。
 『ライズラック』を複座式にするというのは、機体を酷使するエイビィに業を煮やしたハルが要求したことだ。
 大型のハイドラならいざ知らず、小型の機動型に乗るなど体に負担をかけすぎる、とは何度も言ったのだが、ハルは乗る、と言ってきかなかった。最初は上機嫌だったが、戦闘が始まればこの状態だ。と言っても、降りる、とは本人からは言い出さないだろう。
「……千里眼、という意味よ。ハル、吐く時はそこの袋に吐いてちょうだいね」
 沈黙したまま、ハルが不機嫌そうな顔で顔を背ける。
 エイビィは目まぐるしく更新されるレーダーの表示に、ふと指を滑らせた。こちらで識別マークを付けるまでもなく、敵と味方が色で分けられ、その機体のタイプまでもが表示されている。
《私の機体の名前を?》
「リストで見たのを覚えていただけよ――っと!」
 データの送信元――チャーリーに早口で返し、エイビィは機体を飛びのかせた。銃弾によってコンクリートが砕け、めくれあがっていくのを横目で確認しつつ、レーダー図と視覚情報を結びつけていく。
 集められた機体の中で唯一の支援特化ハイドラ……チャーリーの搭乗機である『ヴォワイヤン』の姿を、エイビィはまだ視認していない。それもそのはずで、『ヴォワイヤン』を示すマークは、目立たない場所を選んで動き回っていた。つまり、『ライズラック』とは最も離れた位置だ。
 エイビィは、チャーリーから送られてきたレーダー図に再び指を載せた。一瞬の迷いの後、通信回線をチャーリーだけに絞る。
「――『ヴォワイヤン』、いい?」
《何かしら?》
 返事の返ってくる間にも、画面の表示は刻一刻と変化していた。襲撃が予想できたこともあって戦況は有利に進められてはいるが、こちら側にもそれなりの損害はある。むろん、そこまでは織り込み済み――だが、こちら側の機体が撃墜された位置が妙だった。
「墜とされた味方機の、所属の内訳を教えてもらえる?」
《こっちとMPが半々と言ったところ。……誰かに目をつけているの?》
「話が早くて助かるわ。でも、今の所アテはない。確証もね。そちらも、何か分かったら教えてちょうだい。分かっているでしょうけど」
《気をつける。いざとなったら、あなたの幸運で助けてね》
 レーダーの表示通りに、正面から重タンク機が近づいてくる。『ライズラック』はすぐさまスピアを構え、迎え撃つべく駆けだした。
 こちらの一撃が相手の装甲に浅くしか入らなかったのを見て取って、エイビィは舌打ちする。タンクの砲塔が素早く旋回し、『ライズラック』へ照準を定めた。
 火球のようなマズルフラッシュと、全身を痺れさせる轟音から逃れるように、『ライズラック』の背に備えられた四基のブースターがエネルギーを噴出させた。再び背後のハルからくぐもった声が漏れるが、構ってはいられない。
 急速に離脱するスズメバチの影を、榴弾砲が撃ち抜く。爆風からさらに逃れながら、エイビィはレーダー図に目を走らせた。
(……もしも)
 この『敵』たちと繋がっているのがチャーリーならば、この表示に嘘を混ぜるだろう。あるいは己の位置だけ偽り、後ろから撃つか。
 だが、それはないと思っていた。彼女は、そういった作戦に参加するタイプのハイドラライダーではない。
 ――頭痛。
《こいつら、この前の奴らと同じだ!》
 ダリルの泡を食ったような声に、エイビィは眉根を寄せた。この前というのはいつだ、と口に出そうとして、止める。
「……AIってこと?」
《動きが妙なんだよ、こいつら!》
 『ステラヴァッシュ』の射撃が重タンク機を撃ち抜き、爆発させる。その中に人間が乗っているかどうかまでは判別できなかった。
《反応がいいのに判断が悪いっていうか……》
「なら、また無断の性能試験か、――」
「エイビィ!」
 言葉を遮って、ハルが声を上げる。
 小型二脚のハイドラが、ダガーを振りかぶりながらこちらへ迫るのを見て、エイビィは舌打ちした。レーダー上では味方の機体――間違いなく、機体に黒い不死鳥のエンブレムをつけている、さっきまで味方だった機体だ。
 避けているいとまはない。
 耳障りな金属音と共に、『ライズラック』の腕がダガーを受け止める。損傷を告げるアラームを聞きながら、エイビィは操縦盤へ指を走らせた。
 粒子スピアが、操縦棺を貫く手応え。
「こっちは中身が乗ってるやつね……」
《もう邪魔そうな奴を潰しにかかってるのか?》
「目立ちすぎたかしら。ハル、ありがとう」
 動かなくなった機体から槍を引き抜き、エイビィは視線を巡らせる。ハルは顔を背けて沈黙していた。彼女の言葉を代弁するならば、『お前のためではない』といったところか。
《どうする? 他にも潜んでいる奴がいるかも》
「することは決まっているわ」
 エイビィは嘆息して、通信回線をオープンにした。
「『ヴォワイヤン』、機体ごとの行動ログをちょうだい。裏切り者がいる」
《人使いが荒いのね。――三十秒待って》
 チャーリーの声は笑みを含んでいる。
 エイビィは言葉を返さず、『ライズラック』に地を蹴らせた。最前線から、最も離れた場所へだ。
《エイビィ、俺は?!》
「雑魚を散らして! 得意でしょう!」
《雑魚ったってハイドラ――くそ!》
 『ステラヴァッシュ』の周りがにわかに明るくなり、炎が吹き荒れるのを背に、『ライズラック』は疾る。ハイドラの残骸を飛び越え、銃弾をかいくぐりながら、エイビィは画面にちらりと目を向けた。チャーリーから送られてくるそれには、先ほどとは全く違った情報が映し出されている。
 果たして、『そこ』にいた機体に間違いなく味方の識別が為されているのを確認してから、エイビィは粒子スピアを振りかぶった。


 地面に降りた途端にその場に寝ころがろうとするハルを、エイビィは慌てて抱え上げた。
 ハルは抗議も抵抗もしないまま――できないまま、エイビィの腕に爪を立てる。
「こんなところで寝たら怪我するでしょ……やっぱり、あなたにハイドラはまだ無理よ」
「……わたしの、おかげで、助かった、くせに」
「あなたがいなくても何とかやったわよ」
 頭痛を押さえ込むように前頭を揉み込みながら、エイビィはぐるりと辺りを見回した。
 コンクリートが砕け、土の地面が露出し、ハイドラの残骸が無数に転がる、惨憺たる有様の中を、青いパイロットスーツに身を包んだダリルが駆けてくるのが見える。頭痛が強くなったような気がして、エイビィは目を伏せた。
「エイビィ! 大丈夫だったか?」
「あのねえ、何が『俺は?!』よ。あなたプロでしょ?」
「いや、その……」
 ダリルがもごもごと口を動かし、目を泳がせる。その目が、撃墜されたハイドラへ向いたところでふと止まった。
「…MP側のハイドラだ。やっぱり、こっちのごたごただったんだな」
「恐らくね」
「『ヴォワイヤン』は?」
「それは……」
 不意に頭上から影が落ちるのを感じて、エイビィは上を仰いだ。扁平で巨大な頭部を持つ、見慣れない機体。――『ヴォワイヤン』だ。
《護ってくれるなんて思わなかった》
 外部スピーカーからチャーリーの声が響く。ゆるく微笑んでエイビィは肩をすくめてみせる。
「あなた、表示の場所にいなかったものね」
《最後だけよ。きれいに釣れた》
 行動ログを追われる前に『ヴォワイヤン』を倒そうと向かってきたハイドラを、『ライズラック』が仕留めていた。が、『ヴォワイヤン』自体はそこにはいなかった。最後の最後、レーダー上の表示は動かさないまま、機体だけ移動していた、というわけだ。
《生き残りを連れて帰るわ。この件、どっちがどっちに抗議するか見物ね》
 『ヴォワイヤン』が機体を転回させるのを、エイビィは腰を伸ばしながら見送った。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味よ。……お互い、身の振り方を考えた方がいいかもね」
 ダリルに手を振って返しつつ、エイビィは『ライズラック』へ向かって歩き出す。ハルが、また下ろせとばかりに、腕に爪を立てていた。


 甘やかな煙の臭い。
 どろりと溶けるような琥珀色の瞳。
「大丈夫だよ」
 女が囁いている。
「君はもう、『君』以外の何者にもなりはしない」
 呼吸が楽になるのを感じる。頭痛がゆるやかに収まっていくのを感じる。
「……だから、大丈夫だよ。AB」
 ゆっくりと目を伏せて、あとはただ、微睡んでいた。