#10EX3 『奉仕者』と

 ――そもそも、ニーユ=ニヒト・アルプトラから打ち合わせのために『行く』ではなく『来て欲しい』と言われた瞬間から、嫌な予感はしていたのだ。
 そして、当日にリーンクラフトミリアサービスの前まで来たところで、その予感は確信に変わった。霧の中、ガレージの横にいるはずの二十メートル級ウォーハイドラ……前回はニーユ=ニヒトではなく、『兄』であるエルア=ローアがを乗せて出撃した『ベルベット・ミリアピード』、その姿がどこにも見当たらない。僚機契約を結ぶ前と同じだ。何らかの理由で、ミリアピードが出せなくなったのは明らかだった。
「……『ゼービシェフ』で?」
「……う、はい。『コロナ・メリディアナ』をまた借りるのも考えたんですけど、今回は動かせないって言われてしまって……」
 エイビィを出迎えたニーユ=ニヒトは、すでにこれ以上はないというぐらい申し訳なさそうな顔をしていた。
 話は、こうだ。
 前回の戦闘の後、『ベルベット・ミリアピード』はリーンクラフトミリアサービスへ帰還しなかった。AIであるベルベットとは意志の疎通ができるものの、乗っているはずのエルア=ローアからは応答がなく、その居場所さえ掴めていない。次のミッションまで時間がない状況で、ニーユ=ニヒトの手元にあるのは、『ゼービシェフ』――ミリアピードの前の僚機だった、中二脚の格闘機だけだ。
 ハイドラライダー同士で契約を結び、同じ区画へ配置されるように大隊へ要請する僚機契約は、ハイドラの姿かたちが千差万別であるように、さまざまな組み合わせが存在する。なかでもガク=ワンショットとマヒロ――『ブラフ・ワンス』と『タランチュラ』、あるいは、『ライズラック』と『ベルベット・ミリアピード』のように、軽装甲の高速格闘機と重装甲の大型機が組むのは、比較的スタンダードだ。格闘機が敵を破壊し、大型機が敵の攻撃を引きつける。
 かつての『ゼービシェフ』とも、『ベルベット・ミリアピード』はそのように戦ってきた。その『ゼービシェフ』の代わりに僚機となった『ライズラック』と、『ゼービシェフ』が組むのがどういうことか、ニーユ=ニヒトに分からないはずがない。
「アセンブルはどう変えるの? あれは『ライズラック』以上に前がかりな機体だったはずよ。ミリアピードと組むのならばともかく、盾になるものもないのに慣れないあなたが乗り込んで、まともに戦えるとは思えない」
「で、ですけど。俺が休暇を取るよりは……マシだと、思います……少しでも、……敵を倒すのに、貢献できるなら……」
 声を震わせ、怯えているようにさえ見える態度と裏腹に、ニーユ=ニヒトは出撃する意志自体は固いらしかった。そこには恐らく、僚機であるエイビィに対しての罪悪感も多分に含まれているのだろう。それだけに頭が痛い。
「ええ、そうね……あなたのお兄さんにも言ったわ。欠けられるよりはマシ」
 ――『ベルベット・ミリアピード』となら、『ライズラック』は戦果を食い合うことはない。損のない契約であるはず、としたり顔で言っていたエルア=ローア……目の前にいるニーユ=ニヒトを模したその顔を思い浮かべ、エイビィは嘆息する。それに対して、自分は何と答えたのだったか。
「アセンブルを見せてちょうだい。あなたがどんなにあたしを振り回しても、僚機になった以上は必ず同じ戦場に出る。なら、情けない戦い方をしてもらっては困るのよ」
「えっ、あっ……はい、これはまだ、当時のそのままの……なんですけど……俺、格闘機のこと、全然わからなくて……」
 恐る恐るニーユ=ニヒトが端末を差し出してくる。
 それに目を通して、エイビィは自分の眉間にさらに皺が寄るのを自覚した。
「……本当にこんなアセンブルで戦場に出ていたの?」
「ほ、ほんとです。俺はあの……彼女のやることには口を出してなかったので……砕いた装甲を直してやるくらいしか……」
 恐縮しっぱなしのニーユ=ニヒトから視線を外し、額に指をやって、エイビィは再び端末へ表示された『ゼービシェフ』のアセンブルへ目を落とした。
「前に見た時は、ここまでではなかった。ほとんど自殺行為だわ。……あんな戦い方でよく墜ちないものだと思っていたけれど」
 三本も積まれた電磁アックスに、限界駆動を行うためのエンジンが三基。
 ミリアピードと共に戦場へ出ていた『ゼービシェフ』は、確かに捨て身の戦い方をする超攻撃的な格闘機だった。乗っているのが少女と聞いた時には驚いたものだし、ニーユ=ニヒトがこうした戦い方を許容しているのも意外に思っていた。だが、それでもこれほどやけっぱちではなかったはずだ。
「さすがにこのままでは出せない。ここから『ライズラック』の邪魔をしない形に、とまでは言わないけれど、少し弄らせてもらう」
 エイビィの言葉に、ニーユ=ニヒトは無言のまま頷いた。
 格闘機のことがまるで分からないというこの男の言葉に嘘はないのだろう。それでも、シフトや限界駆動で砕けた装甲のさまを見れば、その修理をやっていたというのなら、その戦い方の過剰な烈しさに思い至ってもいいようなものだけれど、その上で口を出せたのか、と言えば、そうとも考えられなかった。
(――とは言え、終わってしまったことをわざわざ問うても仕方がないか)
 独りごち、エイビィはかぶりを振る。
「……、……同じ戦場にはあのギルデンロウやルカ・タオユンもいるわ。彼らは確かに、『ゼービシェフ』が狙われないような立ち回り方をするでしょう。自分のためにね」
 ハイドラ大隊に所属するハイドラライダーたちの、戦場において挙げた戦果や、それに基づいて支払われた報酬は、すべて可視化されて公開されている。一定期間中にハイドラ大隊で稼ぎ出した報酬は、累積報酬として記録され、これもまたランキングという形で知らされる。
 累積報酬額上位のいわゆる『ランカー』たちは、戦場において戦果を総取りするために、他のハイドラよりも目立つ動きをする傾向にある。次の戦場では霧も濃いため、格闘機である『ゼービシェフ』や『ライズラック』にとっては、決して戦いにくい戦場ではない。
「でも、それでは足らないかも知れない。限界駆動はエンジンと機体に負担をかけ過ぎる。噴霧で撫でられただけで落ちる可能性もあるのだから……」
「……。……覚悟はできています。ミリアピード用に発注したオーバーロード向けのブースターもある……」
「オーバーロードまで考えているの?それは……」
「だから、あの、教えてください」
 ニーユ=ニヒトの表情には今にも縋りついてきそうな必死さがあった。前の打ち合わせで、ミリアピードのAI、ニーユ=ニヒトの『保護者』であるところの、ベルベットが言っていたことを思い出す。奉仕者
「俺、そのためだったら何でもします。今からゼービシェフに、ベルベットを組み込んでもいい」
「何でもするなどと気軽に言わないで」
 エイビィは気だるげに言って目を伏せる。
 そもそも、エイビィが今までずっとひとりでやって来たように、僚機契約というものは結ばなくても致命的に何かが悪くなるような類のものではない。
 だが、ニーユ=ニヒトのこれが、ベルベットの言った通りこの男の本質であるとしたら、僚機のいない状態が精神的に耐え難いのではないか、という想像もつく。
 けれどもそれは、単なる本質に過ぎない。
「……あなたがこれからしようとしていることは、あなたが責任を取ること。あたしはそれを受け入れざるを得ないというだけ」
「そんな、そんなつもりじゃないです、そんな気軽に俺が何でもするって、言うとでも思ってるんですか……あなただから……あなたが俺と組んでるから! 言ってるんです!」
「だから、気軽だと言って……仕方ないわね」
 ニーユ=ニヒトの差し迫った表情を見返し、エイビィは言葉を切ってかぶりを振った。
「ウォーハイドラは、戦場に合わせてその機能を柔軟に変えることができるのが強みよ。あなたがそうと決めたのなら、『ライズラック』もドレスを変えるわ。可能な限りはね」
 『ゼービシェフ』のアセンブルを大きく変え、『ベルベット・ミリアピード』のような壁となる支援機にアセンブルすることは、実のところそれほど難しいことではない。ただし、それはあくまでそれらしく整えることが可能というだけであって、ミリアピードのような役割を果たさせることができるかと言えばそうはならない。
 であるなら、『ゼービシェフ』の尖ったアセンブルをむやみに変更してバランスを削ぐよりは、『ライズラック』のアセンブルを『ゼービシェフ』を補佐する形で変えた方が安定する可能性が高かった。
 もっともそれは、ニーユ=ニヒトとエイビィ、二人のハイドラライダーが、いつもと違う、慣れないアセンブルで戦う可能性を示唆してはいる。だが、『ライズラック』が支援よりのアセンブルを組むことは、ここのところの戦場ではもう珍しくはなくなっている。それに。
(いや、問題はないはず。……あくまで、『ライズラック』であれば)
「……すいません。ほんとに、すいません……」
 先程まで勢いづいていたのはどうしたのか、すっかり縮こまって、ニーユ=ニヒトは顔を俯かせる。
「えっと、なんかその……今度、何か作ったりしますから……あなたのために……『ライズラック』のために……」
「あのねえ……」
 エイビィのため息に反応して、ニーユ=ニヒトがあからさまに体を強張らせた。
「な、なんですか」
「何かで埋め合わせをしたから、それでよしとできるようなことではないでしょう、これって」
 ニーユ=ニヒト・アルプトラは確かにもともと気弱な男で、精神面で安定しているようにはとても見えなかった。
 だが、自分に言い聞かせるように『あなたのため』と繰り返すニーユ=ニヒトのその振る舞いは、そこからさらに一歩、常軌を逸している。こちらに尽くせなければ、僚機として契約が成立していなければ、自分を保てないだとか、そういうレベルの。
 ――それが奉仕であるというのなら、何とも押しつけがましい話だ。
 エイビィは目の前に立つ男の硬い表情を見やった。
「あたしはあなたを甘やかすつもりはないけれど、あなたは自分が何をするかを決めているのだし、あたしをそれに巻き込むことも辞さないでいる。なら、もっとそれなりに、傲慢に振る舞いなさい。あなたは自分勝手な男なのだから、それを自覚するところから始めて欲しいものだわ」
「……は、はい……」
 頷きながらも、ニーユ=ニヒトは納得のいかない顔でいる。
 この男にとってみれば、エルア=ローアの失踪で苦し紛れの対応を強いられているのだから、当たり前と言えば当たり前か。
「まあ……いいでしょう。あなたと『ゼービシェフ』のこと、守ってあげる。ただし、今回だけよ」
「……すいません……こんな、イレギュラー続きで……俺はこんなつもりじゃ……」
「ふふふ」
 思わず、笑みが漏れる。
 今度は比喩でなく、頭痛がじわじわと広がり始めていた。
 そもそもこんな時にこの男の僚機になったのは、共に戦ってきた少女を喪ってきた彼が、すぐさま次のバディを選んだのが何故か、興味があったからだ。そういう意味では、その目的は前回すでに達成されて、この男と組む理由はもはやない。
 だが、この段階でバディを解消するつもりはなかった。
 ……どちらにせよ、もう時間はそれほど残されてはいないのだ。
「霜の巨人……アレは、世界を凍らせ、生命の種子とやらを芽吹かせないための存在だそうね。あんなものと戦うこの時に、いつもと違うアセンブルをすることになるとはね」
「……正直不安です。……お兄ちゃんが何考えてるのかも分からないし……なんで……」
「あのエルア=ローアがね。考えなしにことを運ぶ男ではないとは思うけど……」
 エルア=ローアの挑戦的な眼差しを思い出す。言葉を発する時にだけ、必要に駆られて為される呼吸を。
 何かをしようとしている。あるいは、ニーユ=ニヒトに何かをさせようと、させまいとしている。
 だが、それが何かは見当がつかなかったし、恐らくエイビィにはかかわりのないことだ。
「とにかく、あたしは役割を果たすわ。それだけは確実よ。ハイドラライダーとしてのね」
「……。……はい。俺も、そうしようと思います。エイビィさん、俺に力を貸してください」
 思ったよりもしっかりした声で、ニーユ=ニヒトは言葉を紡ぐ。
 エイビィは苦笑した。
「全く……どちらが『奉仕者』なのか、分かったものではないわね、ニーユ=ニヒト?」
「……『奉仕者』……?」
 怪訝な顔をするニーユ=ニヒトに、エイビィは首を横に振って見せた。
「何でもないわ。……次は戦場よ。アセンブルを詰めましょう」
「……はい!」
 ほっとしたような顔をしていたニーユ=ニヒトは、こちらがアセンブルを変更するにつれて、真剣な眼差しになり、唇を引き結ぶ。そこには、先程までの縋るような眼差しはなく、代わりに気負うような張り詰めた色が覗く。
 予感がしていた。
 そしてそれは、ニーユ=ニヒト・アルプトラとは、何の関わりもない場所にある。
 だがその予感が正しかった時、この男が何を思い、どんな顔をするのかは、少しだけ気になった。