ダリル=デュルケイムは、『ステラヴァッシュ』の操縦棺の上で、装甲に穿たれた大きな穴をぼんやりと眺めている。
つい先日、小型のウォーハイドラとの戦闘によってつけられたものだ。装甲坂に対して斜めにパイルが突き入れられたため、傷は途中で止まって抉れる程度で済んでいるが、ほんの少し照準がずれていれば死んでいたということはダリルでも理解していた。
手心を加えられたのは、一騎打ちの戦いに、予想外の乱入者が入った――入りそうなことに、相手が気が付いたからだ。そうでなければ、相手はこちらを殺す気だった。
その意味を、穴の中から見つけようとでもするように、ダリルは黒い装甲の上にはいつくばるようにして、じっと穴を睨み付ける。
「眺めていても穴は塞がらんぞ!」
怒鳴り声に、ダリルは視線を巡らせた。
アセンブルを解かれた『ステラヴァッシュ』の横で、義足の老人が不機嫌そうな顔をして立っていた。足元には、大振りの工具箱が置かれている。
自作のパーツに動物の名前ばかりを付けることから、周囲から『園長』と呼びならわされいるこの老人は、いつもは自分のテントでジャンク品を組み合わせ、日がな一日ハイドラのパーツを組み立てており、こうして地下の格納庫まで出向いてくるのは珍しい。
「爺さん、命拾いしたんだよ、俺。もうちょっと感慨に浸ったっていいじゃないか」
ダリルは身を起こして操縦棺の端に座り、足をぶらつかせた。ハイドラとして最大級の大きさを誇る『ステラヴァッシュ』は、その操縦棺だけでも五メートル程度の高さがある。ダリルの返事も、自然怒鳴るような声音だ。
「うるせえよ、邪魔だからさっさと退け。ろくに仕事もしとらん癖に、こんな傷をこさえてきやがって」
吐き捨てるように言って、『園長』はこちらへ向けて虫を追い払うように手を振るしぐさをした。ダリルは唇を尖らせて見せたが、おとなしく、横につけられたリフトに乗って下に降りる。義足を軋ませながら乗り込んでくる老人と入れ替わって、ダリルは操縦棺を見上げた。
「ハイドラライダーと戦ったんだよ。ビルじゃないかと思って……」
「お前、まだそれやってたのか」
「まだって何だよ! 見つかるまではやるぜ、俺は。……ビルが死ぬわけないんだから」
『園長』は答えずに、リフトで操縦棺を上っていく。ほどなくして、鋼を削る激しい音が、頭上から聞こえてきた。
ダリルは腕を組んで、黒い操縦棺にもたれかかった。床の上には、引き抜かれたパイルが無造作に転がっている。自分を貫くかも知れなかったパイルだ。
ダリルが行方知れずになったウィリアム“ビル”=ブラッドバーンを探し始めてから、二年が経っていた。
今まで、諦めようと……死んだことを受け入れようと……思ったことは、指折り数えて足らないほどだ。死体をこの目で確認できさえすれば、と思ったことも、何度もある。
それでもまた、生きているはずだと、まだ諦められないと、幾度となく思いなおすほどに、ダリルにとってビルの存在は大きかった。
自信たっぷりで、鼻持ちならない、お調子者の男だった。今のダリルと同じ、DR乗り上がりのハイドラライダーで、ダリルよりも少し年上で、ダリルがまだライセンスを取れない、といつもばかにしたような口調で言っていた。
思い返してみると、ビルは口先でダリルをばかにしてばかりだった。お坊ちゃん育ちで世間知らずだとか、人が良すぎるとか、言葉を額面通りに受け取りすぎるとかだ。
ダリルも、最初はそれこそ真面目に、額面通りに取り合って怒っていた。それが、彼なりの親愛の表し方だと気が付くのには、しばらく時間がかかった。
それに気が付いても、ビルの憎まれ口が気に食わないという人間はいたけれど、ダリルはビルのことが好きだった。
僚機でこそなかったが、ビルとダリルはいいチームだったのだ。ビルが、ハイドラを遺して行方不明になるまでは。
ダリルはその時ほど、ハイドラのライセンスを持っていなかった自分を責めたことはない。その日の出撃は、ハイドラ大隊だけだった。
それから、ビルの消息を探し始めて二年。元のチームを辞めてこのマヴロス・フィニクスにやって来たのも、ビルを追ってのことだ。
足跡を追って、どこででも行ったし、誰にでも話を聞いた。それらしい人間には全部声をかけた。
それでも、ぷっつり途切れたその痕跡をそれ以上辿ることはできず、二年だ。
たった二年。それでも、撃墜されたハイドラから消えた男の命を諦めるには十分な時間だ。少なくとも、ダリルにとってはそうだった。
忘れようと思いながら、先日ようやく、まだ取れないのかとばかにされていたウォーハイドラのライセンスを取ったばかりだった。それが……
ダリルはパイルをねめつけながら、自分を殺そうとしたあの男――エイビィのことを考える。
顔は違う。性格も違う。喋り方も、声も違う。
似ているところがあるとすれば、身長程度だ。何故、似ていると思ったのか、後から考えると自分でも分からないほどだった。だからこそ、ダリルは自分の直感を信じている。
そして実際、エイビィには二年よりも前の記録がなかった。
似ていると思った男に、ビルがいなくなった以前の記録がないのを、ダリルは偶然だとは思わない。
本人でないにしても、彼は何かを知っている。そう考えたからこそ、その口から情報を聞き出そうとした。エイビィからの返答は、このパイル。
「ダリル」
頭上からかかった声に、ダリルは顔を上げる。いつの間にか、作業の音は聞こえなくなっていた。見上げると、『ステラヴァッシュ』の操縦棺の端から、ゴーグルをつけた『園長』の顔が覗いている。
「爺さん、終わったのか?」
「話がある。テントまで来い」
『園長』の押し殺したような声に、ダリルはきょとんとする。
「話? それならここででも……」
「いいから、来い。このパイルを撃った奴について話がある」
ダリルは慌てて、操縦棺から背を離した。
「エイビィと戦ったな」
「見ただけで分かるのか?」
「当たり前だ。あのパイルは、俺が作ったものじゃねえがな」
面白くもなさそうに鼻を鳴らし、『園長』は古びたパイプ椅子に深く沈み込んだ。
『園長』のテントの中は相変わらずジャンク品が野放図に積み上がっている。
ウォーハイドラの中核を成すHCS、それにエネルギーを供給するミストエンジンに解明されていないことが多いのと同じように、九つの首に繋がれるパーツにもたくさんの謎がある。どう見てもジャンク品以下のガラクタを組み合わせ、出来上がったガラクタにしか過ぎないものをハイドラに接続することで、息を吹き込まれたかのように最適化されたパーツになる――ことがある、という現象だ。
ハイドラにまつわる事象は、どれを一つとってもまじないめいている。こうしてテントの中でハイドラのパーツを作り続ける『園長』は、黒い不死鳥に仕える呪術師、という風情だろうか。ダリルは何とはなしに、つなぎの腕に縫い付けられたエンブレムを撫でた。
「エイビィの話なのか?」
「奴に関わるのはやめておけ。人間かも分からん男だ」
「……ここじゃあ、そんなのは『珍しい』程度だろ?」
ダリルは首を傾げる。
消えることのない深い霧に覆われた残像領域において、人ならざるものの存在ははっきりと確認されている。その多くは、残像領域の外――霧のうちに繋がった、別の世界から来たものたちだという。
数は決して多くはないものの、忌避するような類のものではないはずだ。それに少なくとも見た限りでは、エイビィは鱗に覆われているわけでも、尻尾が生えているわけでもない。
『園長』は眉間に刻まれた深い皺をなお寄せて、ゴミの山に目を向けた。
「二年前まで、マヴロス・フィニクスにはあることを研究している会社があってな」
ダリルは肩をビクつかせる。二年前。ビルが消え、エイビィが現れたのと同じ時期。
「あることって?」
「バイオノイドだよ」
「……エイビィが?」
生体パーツの使用された人造人間は――これも、珍しくはあるが残像領域ではいなくはない存在だ。
「あいつが最初にこのテントにやって来た時は、あんなもんじゃなかった。もっと無気力な男で、まばたき一つ満足にできない奴だった」
「……」
結びつかない。強気で、自信に満ちて、判断の早い……ダリルは首を振った。それがエイビィのことなのか、ビルのことなのか、自分でも分からなくなっていた。
「あいつが来る少し前に、急に部門が縮小されてな。
お抱えのハイドラライダーをバイオノイドに切り替えて、コストを削減するだのと謳っていたが、結局上手くいかなかったんだろうよ。廃棄も大量に行われたと聞いている」
「その……生き残りだって?」
「俺はそう考えとる。そして、それを隠しがっているともな」
『園長』の言葉が頭の上を上滑りに通り過ぎていく。もし、その言葉の通りであれば、エイビィに昔のログがないのは当然と言うことになる。ビルとも、関係ない。
(でもそれなら、俺のあの感じは何だったんだ?)
小骨の刺さったような違和感に、ダリルは拳を握り締めた。全く似ていないふたりを、結びつけるような何かがあるはずなのだ。……
「……音、鳴ってるぞ」
「え?――あっ」
『園長』に指さされ、ダリルは慌ててつなぎのポケットから通信機を取り出した。画面に表示されている時刻は、召集時間をすでに五分も過ぎている。
「悪い、戻るよ。爺さん」
「さっさと行け。今度はあんなにでかい穴を開けるなよ」
追い払うように手を振る『園長』に背を向けて、ダリルはテントを飛び出した。
照明を落としたブリーフィングルームのスクリーンに、簡略化された地形図が映し出されていた。
できるだけ、音の立たないように扉を開けたつもりだったが、差し込む光まではどうにもできない。部屋中の視線が自分に集中するのを感じながら、ダリルは巨躯を丸めて後ろ手に扉を閉める。
「……すいません、遅れました」
返答はなかった。代わりに、顎をしゃくられる。さっさと座って話を聞け、ということだろう。
ダリルは息を吐いて、扉にほど近い空席に、音の立たないようにしてそっと腰かけた。
地形図の上にはハイドラやDRを表すアイコンが表示され、それぞれがゆっくりと移動している。
作戦直前のブリーフィングは、今までの打ち合わせの最終的な詰めであって、その配置はダリルにとっても既知のものだ。『ステラヴァッシュ』を示すアイコン――額に星の刻まれた、黒い牛のエンブレム――も、知った位置に配置されている。あるいはいつもの位置、と言ってもいい。
分厚い装甲を持つ重多脚ハイドラの防衛上の役割は、敵の攻撃を少しでも多く引きつけ、弾を無駄に使わせること、と相場が決まっている。
ダリルは『ステラヴァッシュ』のアイコンが、セオリー通りに敵機を磁石のごとく誘引するのを眺めながら、エイビィのことを思い浮かべた。あるいは、ビルのことを。
二年前、『園長』と初めて会った頃のエイビィは、今とは別人のようだったという。瞬きひとつも満足にできないような男だったと。
『園長』はそれを、エイビィがバイオノイドであるからだ、と言った。
人造人間という存在について、ダリルはそれほど造詣が深くない。『霧の向こう』からやってきた技術の一つであるとも言われていて、謎も多い。
が、バイオノイドと言えば、人間と同じ『生の肉体』を培養して作られた人造人間のことを指し、機械の使われていない、見た目は普通の人間と区別がつかない存在、程度の認識はあった。
急速に成長させたバイオノイドの脳に人格や知識を焼き付けて、生まれて間もなくとも深い経験を積んだ人間であるかのように振る舞う『製品』があるだとか、あるいは単純に生体パーツとして利用して、生きた人間の脳を移植するケースもあるとか、そういう話も聞いたことがある。
少なくとも――『園長』の話を信じるなら――エイビィはそのどちらでもない。人格がインストールされているのであれば、あるいは人間の脳を載せられていたのであれば、自分の身の振り方に迷うことなどないはずだ。
ロールアウトされることなく、廃棄処分されたバイオノイドの生き残り。
『園長』がエイビィをそのように考えているのは、その辺りが理由だろう。
(でも……)
ダリルはエイビィの顔を思い浮かべた。
彼の自信に満ちた口ぶりや行動は、深い経験に基づいているものに感じられる。
バイオノイドを差別するつもりはなかったが、人格さえ茫漠としている製作されたばかりの人造人間が、たった二年であれほどの振る舞いを身に着けられるとはとても思えなかった。
『園長』は確信をもって語っていたが、推測には違いないのだ。『園長』が示した事実も、ダリルの考えを否定するようなものではない。
エイビィは、自分は記憶喪失ではない、と言っていた。
それが嘘だとしたら、彼が記憶を失ったビルだとしたら、二年前にマヴロス・フィニクスに現れた時、自分が何者か分からない状態であるのがむしろ自然な状態だ。
しかもバイオノイドは、ありふれたとは言わないまでも、ことさら差別されるような存在ではない。ダリルを殺すというリスクを冒してまで、隠すような出自ではないはずだ。……記憶を失っているにしても、ダリルを殺そうとする理由は分からないが、とにかく『園長』の説にも説得力を与えはしない。
(やっぱりあいつがビルなんだ)
ダリルは拳を握りしめた。あれだけ探して、あれだけ追い求めていたビルの手がかりが、いま手の届くところにある。仕事を放り投げて、また『キャットフィッシュ』に出向きたいほどだった。
「……」
ふと顔を上げると、部屋中の顔がまたこちらに向けられている。気がつかないうちに立ち上がっていたらしい。声も出ていたかも知れない。
「――すいません! 何でもありません!」
ダリルは姿勢を正して叫び、座り直した。
何でもないことがあるか、という声はかからなかった。いつものことなのだ。
砂煙をまき上げながら、『ステラヴァッシュ』は傾斜を下っていく。
ダリルたちの仕事は、マヴロス・フィニクスの主要企業――『冠羽』と呼ばれる会社の敷地を警備することだ。滅多に部隊が外に出ることはない。今回も、部隊が展開されている位置は『冠羽』のビル群とほとんど隣接していた。そこに、敵の指一本触れさせないのが、ダリルたちの仕事ということになる。
視認こそできなかったが、レーダーにはいくつかの敵影が映し出されていた。それだけではなく、『ステラヴァッシュ』の装甲には、すでに何発かの着弾がある。
霧の濃い戦場において、射撃武器の精度は大きく落ちる。彼我の距離が相当詰まらない限りは、相手の影さえ捉えることができないからだ。ダリルも先ほどから弾を撃ってはいるが、目視ではなくレーダーの反応だよりだった。手ごたえがあったかどうかさえ分からない。
相手側からこちらへの射撃が当たっているのは、機動性の問題ではなく、『ステラヴァッシュ』の巨躯ゆえだ。――もっとも、蚊の刺したほどのダメージにもなってはいない。操縦棺への衝撃もほとんどなかった。ダリルはぼんやりとレーダーと地形図を照らし合わせながら、『ステラヴァッシュ』を作戦通りに緩やかに前へ進める。
ライセンスを取ってまだ間もないとは言え、『ステラヴァッシュ』に乗るようになってから、戦場においてダリルはほとんど危険を感じたことはない。
ダリルのような重装甲のハイドラを駆るハイドラライダーは、最前線に立って敵の攻撃を引き付けるが、より長く戦うために過剰ともいえるほどに防御を厚くする場合がある。ダリルもその例に倣っていた。この霧の中、レーダーを見ただけでの射撃では、『ステラヴァッシュ』の装甲を貫くことはできはしない。そして、接近してこようとする敵を、こちらは弾幕で押しとどめることができる。
不意に頭上にひやりとしたものを感じて、ダリルは首をぶんぶんと横に振った。『園長』によってすっかり塞がれたものの、パイルは確かにダリルの頭上に斜めに突き立っていた。そして恐らく、本来は真っ直ぐに――操縦棺を貫くように――放つつもりだったはずだ。『ステラヴァッシュ』を沈黙させるのではなく、そのハイドラライダーを殺そうとしていた。それは、間違いない。
(『ライズラック』……)
エイビィの駆るあの小型の機体は、『ステラヴァッシュ』とは全く違う思想によってアセンブルされている。小さく、素早く、脆く、そして攻撃力の高い機体。もし、エイビィがダリルの僚機であれば、ダリルは自分を目くらましにして、『ライズラック』に霧から霧へ敵を倒してもらうだろう。
だが、エイビィは『ステラヴァッシュ』よりもずっと脆いだろうあの機体を、動き回る壁として動かしていた。こちらの武器のチャージが終わるまで、敵を引き付けていたのはエイビィだ。
考え方としては珍しくない。霧の中において、高速で動く小型機を捉えるのは難しいからだ。
ハイドラライダーの報酬は、戦場における働きによって決められる。『敵の注目を引き、攻撃を引き受けた』という評価を得るために、目立つ行動を取って攻撃を引き付ける小型機はほかにもいる。だが、それが危険な行為であるのは、先日の攻砦戦のことを考えれば明らかだ。エイビィは生きて帰ってきたが、次は分からない。
ダリルは今度は背筋に怖気を感じて、操縦桿を握り締めた。
(……確かに、エイビィはビルじゃない)
ビルが乗っていたのは、スタンダードな二脚の機体だ。
エイビィのように機動性に寄ったピーキーなアセンブルにもしていなかった。実力への自負はあったが、それを誇示するために戦場であれほど動き回ったりもしない。エイビィにビルとしての記憶はない。それは確かだろう。
(でも、記憶がないにしたってあれはビルなんだ。危険な行動を取ってもらっちゃ困るぞ。
もっと、体を大事にしてもらわないと)
唇を引き結んで、ダリルは操縦席に沈み込む。この作戦が終わったら、エイビィに一言かけておく必要がある。
「……ッ!?」
『ステラヴァッシュ』が大きく揺れた。
パイロットスーツの一部が瞬時に風船のように膨れ上がり、衝撃を吸収する。ダリルは咳き込みながら、慌てて画面を確認した。レーダーの中、『ステラヴァッシュ』に被さるように、敵機の反応がある。思考に沈んでいたせいで接近に気が付かなかったらしい。完全に油断していた。
「くそっ、ハイドラか? DRか?」
計器が被害状況を上げてくるのを流し見ながら、外部カメラの映像を覗き込む。
霧に紛れて、小型のウォーハイドラが離脱していくのを見て、ダリルは目を見開いた。その姿が、『ライズラック』に似ていたような気がしたのだ。
(違う)
霧に消える背に『翅』がついていないのを見て取って、ダリルはその方向へ向けて速射砲を放つ。レーダーから急速に反応が離脱していく。手ごたえは、なかった。
ダリルは息を吐いて、行き交う通信に耳を傾ける。
戦いの趨勢はもう決していた。敵機はほとんど潰せていて、残りもこちらで押し包めている。逃げたのは、今離脱したハイドラのみ。その一機も追討の必要がある、というのが、隊としての判断だ。
同僚たちの事務的に気遣う声に適当に返して、ダリルは指を鳴らす。
なぜか、『園長』の言ったことを思い出していた。大量廃棄されたバイオノイド。エイビィは、その生き残り。あれは『ライズラック』ではなかったが、その動きはエイビィに、どこか似ていたようにも感じられた。エイビィのあの操縦技術が、機械的にインストールされたものだとしたら?
(そんなはずはない。……そんなはずはないよな?)
ダリルは不安を振り払うように、操縦桿を握り直した。
『ステラヴァッシュ』は、荒野をゆっくりと踏みしめ、霧の中を移動する。
白くけぶる視界に、淡く夜の色が混じり始めている。
延々と続く錆び果てた工業プラントの中を、あるいは廃墟の間をすり抜け、あるいは屋根ごと踏みつぶしながら、ハイドラの群れが進んでゆく。
『ステラヴァッシュ』は先刻とは打って変わって、部隊のしんがりを引き受けている。先行しているのは、足の速い小型から中型の機体だった。
待ち伏せを警戒して、念のための陣形は組まれているものの、ハイドラの中でも最も機動力の高い小型の逆関節機――いわゆる軽逆機に追いつくために、その行軍速度は早い。
最後尾をゆく『ステラヴァッシュ』のレーダーには、まだ離脱した軽逆機の姿は映ってはいなかったが、前方を進む機体たちは、既に反応を確認しているようだった。……部隊が、前後に細長く伸びているのだ。
行軍速度を緩め、陣形を整える提案をする声もあった。だが、逃げるハイドラがスピードを緩めない以上、小型機も追いすがるしかない。
しかし、『ステラヴァッシュ』をはじめとする中・大型機には、小型機を追い上げるほどの機動力はない。レーダーには何の反応もないものの、横合いや前方からの襲撃には弱い、危険な状態だ。
(撤退した方がいい)
……とは、ダリルもぼんやりと考え始めていた。
一方で、このまま追いかけてハイドラの正体を確かめなければならない、という焦燥もある。
背に『翅』こそなかったが、あれは『ライズラック』ではなかったか。その動きは、エイビィに似てはいなかったか。そう思うと、じわじわと不安がこみ上げ、たまらなくなる。
その姿を再びこの目で確認しなければ。
その操縦棺を暴き、ハイドラライダーを確認しなければ。
そうしなければ、拭いきることのできない不安だ。ダリルは『ステラヴァッシュ』の中で前のめりになり、外部カメラとレーダーをじっと見比べた。
(ビル)
見つけたと思った。指がかかったと思ったその背が、深い霧の中に飲み込まれ、再び見えなくなっていく。
気の遠くなる思いで、ダリルは青く染まってゆく靄を、その中で見え隠れするハイドラ隊の機影を見つめていた。
「……何だ?」
不意に、前方で光が瞬いた。
次いで、飛び交う通信にノイズが混ざる。『ステラヴァッシュ』のレーダーには変化がない。レーダーの中には、細長く伸びた部隊のすべてが収まってはいない。
狙撃砲だ――と誰かが怒号を上げた。次いで、先頭の小型機が撃墜されたと報告が入る。
逃げる軽逆機は、狙撃砲など積んでいなかった。やはり、待ち伏せされていたのだ。
「分かっていながら……」
手をこまねいているうちに、襲撃された形だ。
散開するように指示が飛んでいるが、闇の中、周囲を建物に囲まれて、半端なサイズのハイドラは迂闊に動けずにいる。
ダリルは前を行くハイドラが足を止めるのを見ながら、『ステラヴァッシュ』にその頭を越えさせた。向こうが攻撃に転じてきたのなら、前に出る必要がある。
瞬間、持ち上げた脚に数発の着弾がある。今度は横合いからだ。
「――ッ」
操縦棺に衝撃はほとんど届かない。『ステラヴァッシュ』も、姿勢を崩すことはない。だが、その位置からの攻撃は予想外だった。
視線を巡らせる。カメラでは確認できないが、レーダー上にはこちらにかなりのスピードで突っ込んでくる機体があった。それも、一機ではない。
「囲まれているのか!」
思わず口に出した後に、それが部隊を必要以上に混乱させる発言である、ということにダリルは気が付いた。
が、 言ってしまったものは仕方がない。『ステラヴァッシュ』はいつものように仕事を果たすだけだ。他のハイドラを守るべく脚で覆い隠しながら、レーダーの反応をあてにミサイルを放つ。
霧の向こうで爆炎が散った。レーダーの反応は依然、健在だ。そもそも当たらなかったのか、撃墜されたのかは判断ができない。
飛び込んできたハイドラは、先頭を引いていたのと同じ逆関節の小型機だった。その後ろに、視認はできないがもう一つ反応がある。セオリー通りならば、こちらは支援を行う射撃機体か。
『ステラヴァッシュ』に飛びつくようにして近づいてきた機体が、腕をこちらに突き出したのを目で捉え、ダリルは歯を食いしばった。またパイル。
闇の中に炎が踊る。
『ステラヴァッシュ』から噴き出した火焔が、飛び込んできたハイドラをあやまたず包み込んだ。
視線を巡らせる。ここをさっさと切り抜けて、前線に出る必要がある。あの逃げたハイドラを――
炎を振り払い、半ば焼け焦げた逆関節のハイドラが、再びこちらに腕を差し向けた。
今度は、追い払う暇はなかった。衝撃とともに、パイルが『ステラヴァッシュ』の脚に突き立てられる。さらに。
「――ぐっ!」
もう一撃。そして、即座に離脱。
あっという間に見えなくなったハイドラの方へ向けて、ダリルは再び火焔を放ったが、返って来たのは粒子砲の射撃だった。反応は、未だ健在だ。
それを追いかけるように、『ステラヴァッシュ』の脚に隠れていたハイドラが数機、暗がりへ飛び込んでいく。
パイルは二本とも脚を突き抜け、足下へ抜けたようだった。動きには――もともと鈍重であることもあって――それほどの影響はない。
問題は、今のハイドラにも見覚えがあるということだ。パイルを複数積んだ、前のめりの逆間接機。
以前、砦攻めに参加していたハイドラ大隊のうちの一体に、そのような機体があったことをダリルは覚えていた。
同じ機体ではない。単騎で部隊を釣っていた軽逆機もそうだが、似ているだけで別の機体だ。動きも劣っている。だが、似ている。
(……どういうことだ?)
ダリルは前方へ目を向ける。明滅する光と腹の底に響く爆音、そしてレーダーの反応が、前後に伸び切った部隊を分断するように襲撃があったことを示していた。
二機を追ったこちら側のハイドラは目下戦闘中だが、『ステラヴァッシュ』はもう高速機同士の戦闘に絡むことはできない。ならば、最初の予定通り前に出るだけだ。この連中が何者なのか、あの軽逆機を暴けば分かるような気がしていた。
操縦桿を引く。
夜の霧の中、『ステラヴァッシュ』はゆっくりと、その足を進め始めた。
足を止めた部隊を縦断するのに、鈍足の『ステラヴァッシュ』でもそう時間はかからない。目についた敵機に射撃を加え、味方への攻撃を防ぎながら、黒い巨体は悠然と前へ歩んで行く。
焔が闇を舐め、銃弾が霧を引き裂き、ハイドラを紙のように易々と貫く様に、ダリルは見向きもしない。激しく飛び交う通信も、ほとんど目に入ってはいなかった。ただ、確かめなければならないという強迫観念だけがあった。
「――」
だが、最前線まで来ても、あの軽逆機の反応がレーダー上に現れることはなかった。
離脱したのか、あるいは撃墜されたのか。
夜霧の中では、『ステラヴァッシュ』の足下に転がる残骸の見分けはつかない。
「…!」
足を止めた『ステラヴァッシュ』に重なろうとする反応に気づき、ダリルは上を見上げた。
……小型の逆関節機。
レーダー上の反応は、そしてその外見は、先程の軽逆機とは同一ではない。
だが、こちらの頭を押さえようとするその動きは。
「――エイビィ!」
反射的に叫んで、ダリルは操縦桿のスイッチを押した。
記憶の中と同じように腕を振りかぶったその機体が、真っ向から撃ち抜かれて暗闇へ墜ちていくのを、ダリルは目を見開いて見つめていた。
「聞いたことがあるな」
『園長』は相変わらず不機嫌そうな顔で、『ステラヴァッシュ』の脚に開いた穴の具合を確かめている。
地下格納庫は、いつにない大騒ぎだった。
連戦の上に、二戦目は不意打ち紛いの乱戦だ。こちらの被害は少なくなく、帰ってこなかったハイドラライダーもいた。だが今は、生き残ったものも出迎えたものも、傷ついた人間とハイドラを直すことに大わらわになっている。
「ハイドラ大隊のデータを取って、アセンブルを模倣、操縦も先頭データを読み込ませたAI任せ。
質は落ちるけど、安価だし大量生産もきく。なにせ、ハイドラのパーツは安いしな。でも、同じパーツはなかなか手に入らないから、みんな微妙に違うアセンブルだった」
一息に言って、ダリルはペットボトルの水を飲み下した。
撃墜したハイドラに乗っていたのは、バイオノイドではなかった。そもそも、誰も乗ってなどいなかった。ただ、操縦桿に寄生するように取り付いた機械のパーツがあっただけだ。
「……思ったんだけどさ。爺さん」
「なんだ。今忙しい」
「バイオノイドが廃棄になったのって、このせいだったのか?」
「さあな」
言葉を濁す『園長』から目をそらし、ダリルは格納庫を見渡す。
誰も何も言わなかった。だが、ここにいる誰もが分かっているはずだ。今回の件は、マヴロス・フィニクスが行なったテストだったと。そして、それは恐らくうまくいったのだ。
部隊の人間に通知せずに製品の性能テストを行うなど、よくある話だった。死人が出たとしても、保険金が手に入る。残像領域の企業は、人の命をその程度にしか考えてはいない。
とにかく、自分は生き残った。それで良しとするしかないのだ。
(……いやだな)
ダリルは眉をしかめて、床に座り込んだ。空になったボトルを放り投げて腕を組む。だが、安堵してもいた。あれに乗っていたのがバイオノイドではないのなら、エイビィもきっとバイオノイドではない。
「やっぱり、エイビィはビルなんだよ……」
つぶやくように言って、ダリルは床に寝そべった。
頬に当たる冷たい感触に微睡みながら、次会った時に言うべきことを考えていた。