鵤万アラタ 十週目

 鵤万アラタはひとつ息を吐き、足元を駆け抜けていこうとしたおもちゃの兵隊を拾い上げた。
 兵士は塩と化した勇者たちに向かって、なお果敢に走り寄って行こうとしていたが、アラタの手の中で何度か空を蹴るように足を動かしてから、ゆっくりと動きを止める。
 ぜんまい仕掛けの兵隊は、実際は屋敷の地下の霊脈から力を得ているため、地面から離すと繋がりが弱くなり、こうして動かなくなる。銅像のハルピュイアは空を飛び回っていて支障がないから、恐らく籠められた霊力の組み上げ方が違うのだろう。
 繋がりの太さ、霊力の供給の仕方。祖父の籠めた術式は多彩で凝っているけれど、アラタに読み解けるものもいくつかある。それが少し古めかしいものであることも、少しずつ理解できるようになってきた。祖父の年齢や生きていた時代を考えれば当然であるのだが。
「なんか、兵隊が多いな……配分間違えたかな……?」
 勇者たちがいなくなり、前庭は静けさを取り戻しつつある。
 アラタの頭よりも小さいおもちゃの兵隊たちが、構えた銃剣の先を恐る恐る塩の柱に突き立て、動かないのを確認して敬礼をした。ハルピュイアは台座へ戻り、屋敷から噴き出していた炎も止まる。あとはいつも通り、前庭にぶちまけられた塩を運んで片付けるだけだ。
「……ん」
 もう一度、ため息をついて、アラタはそれほど疲れていない自分に気がついた。
 襲ってくる勇者たちを撃退し始めて、もう何週間も経っている。勇者たちの攻撃は激しくなるばかりで、毎度対応に頭を悩ませているのだが、繰り返しているうちに体力はついているのかも知れない。
 アラタは前庭をぐるりと見回して、ルカの姿を探す。
 果たして長身のメイドは、前庭の突き当たり、門扉の前でこちらに背を向けて立っていた。彼女は閉じられた門の向こうを、じっと見据えている。
(何が……)
 来るというのだろう。
 ルカの言葉を思い出して、アラタは背筋がぞくりと粟立つのを感じる。
 既に分かっているはずだ、とルカは言った。そこから目を背け、自分に嘘をついているのはアラタだと。
 分かっているはずのもの。いずれやって来るもの。
 ……彼女は、それを待っているのだろうか。
「旦那様、お疲れ様です」
 こちらを振り返ったルカは、相変わらずどこか不機嫌そうな顔をしていた。アラタは首を竦めてみせる。
「――お疲れさま。スコップを持ってくるよ」
「いいえ。わたくしが持って参ります」
「分かった。待ってるよ」
 ルカが大股で横をすり抜け、屋敷へ入っていくのを見届けると、アラタはその場に屈みこんだ。拾い上げた兵士を、他の兵隊の近くへ戻してやる。
 兵隊たちはその場で点呼めいたものを取ると――アラタには分からない言葉を、甲高い声で紡いでいる――足並みを揃えて、屋敷の方へ戻っていった。彼らの定位置は、亡くなった兄の部屋だ。深くしまいこまれていたものを探し出してきたのだが、彼らは出撃しやすいようにか、今は部屋の隅を待機場所にしている。屋敷の中でも日当たりのいい、なかなかよい部屋だ。
(『兄上』――)
 アラタは兄のことを、よく知らない。
 生まれてすぐに外に出されたアラタは、両親とさえ顔を合わせたことは数えるほどしかなく、兄に至っては言葉を交わしたことさえない。どんな人だったのか、と使用人たちに聞くことさえ躊躇われた。
 両親のもとで暮らした兄と、兄と両親が死ぬまで家に寄りつくことさえなかった自分。比べたことがない、というわけではないが、羨ましいとか、憎たらしいとか思ったことはなかった。あまりにも、知らなさすぎるのだ。アラタにとっては術師として有名だった祖父の方が、ずっと身近だった。その祖父の顔も、見たことはないけれど。
「……あれ?」
 何か引っかかるものを感じて、アラタは首を傾げた。
 だが、それが何なのかは分からない。兄、両親、祖父……順繰りに自分の思考を辿ってみるが、違和感だけが強く残るばかりだ。何についての違和感なのか、ピンと来るものはない。
「旦那様、お待たせしました」
 そうこうしているうちに、ルカが屋敷の中からスコップと袋を携えて戻ってきた。はじめはルカ一人に任せていた片付けだが、今では一緒に終わらせるのが当たり前になっている。
「ありがとう、はやめに終わらせて、お茶にしよう」
 差し出されたスコップと塩を受け取って、アラタは笑ってみせた。
 覚えた違和感については、片付けるうちに忘れてしまった。


「――わたくしの相棒、ですか」
「言いたくなかったら、言わなくてもいいよ」
 カップから、白い湯気が立ち上っている。
 開かれた両開きの窓からは初夏のまだ涼しい風が吹き込み、カーテンを揺らしていた。
 ふたつ、カップの置かれたテーブルの対面に、ルカは静かに腰かける。アラタは紅茶の淹れられたカップから視線を外し、ルカを見上げた。
「想像できるかと思いますが、典型的な後衛です。術式に長け、運動神経はあまり」
 ……双神官は二人一組の夫婦神官。組によって違うが、役割分けが明確であることが多い。ルカは前に出て壁になり、身一つで敵を引きつける前衛役。パートナーとなる神官は、遠隔術式やサポートに長ける後衛役であるのが自然である。
「俺と同じタイプだ。ええと、そうじゃなくて、性格とか」
「明朗で快活、物怖じしない女性でした」
「それは俺とは正反対だ。……待って、後衛って言った?」
 ルカの目がこちらをまっすぐに見つめた。
「そうです。彼女はわたくしを庇い――わたくしは、彼女を護れなかったばかりか、己の手で彼女にとどめを刺せなかった」
 静かだった言葉に力が籠もる。眉根を寄せて息をつくと、ルカはカップに手を伸ばした。
「わたくしは霊力を喰われ、自分の力で蟲どもを葬ることもできなくなってしまった。役割を何一つ果たせなかったせいで。ばかげた話です」
「……そんなことは」
「ですから、旦那さまを妬む気持ちはあります」
 さらりと言って、ルカは紅茶に口をつける。アラタはなんとも言えない顔で俯き、自分のカップを見つめた。
「もちろん前にもお伝えした通り、旦那さまをわたくしのパートナーにしようと思ってはいません。この家にメイドとして雇われたのは、――」
 ふと、ルカが言い淀む。また何か、隠しごとだろうか。
「……雇われたのは?」
「旦那様は、お兄様のことはどこまでご存知ですか?」
「兄?」
 話を逸らされたのかと思い、アラタは閉口する。が、ルカの視線に促され、おずおずと口を開いた。
「全然、知らないよ……顔をちらっと見たことがあるけど、俺にあんまり似てないな、ってぐらい。話したこともない」
「そうですか――わたくしをこの屋敷に雇い入れたのは、あなたのお兄様です」
「……初耳だ」
 家の誰も、そんなことは教えてくれなかった。
「ウカラ様はお家で術式を学んでらっしゃいましたが、ニブリのそれにも興味がおありであったようです。
 もっとも、術式に関してはわたくしがお教えできることはほとんどありませんでした。わたくしの死んだ相棒や、旦那さまであれば、もっと面白い話もできたのでしょうが」
 ルカは空になった自分のカップに茶を注ぎながら、そんなことを言った。アラタは紅茶のカップに口をつけて、大きくため息をつく。
「俺は、兄上が死んでいなきゃ、兄上のことを知ることもなかったよ」
 鵤万ウカラ。そういえばそんな名前だった、とさえ思うのだ。
 カップを置き、アラタはルカを見上げた。ルカは眉根を寄せて、こちらを見つめている。
「きっと俺よりも、ルカの方が兄上の死で悲しんでる。そうじゃないかな」
「かも、知れません」
 ルカは空になったアラタのカップに茶を注がなかった。自分のぶんの紅茶を飲んでしまって、いつもよりも乱暴に立ち上がる。
「片づけをして参ります」
「――ルカ。兄上は、どんな人だった?」
「彼は……」
 こちらを振り返ったルカは、再び言い淀んだ。目を逸らし、ゆるゆると首を横に振る。
「知っても、詮のないことです」
「ルカ、けれど」
「失礼いたします」
 こちらの答えも待たぬまま、さっさと去って行ってしまう。
「ルカ、けれど……相棒のことは、ちゃんと教えてくれたじゃないか」
 アラタが呟くようにそう言ったのは、扉が閉まった後だった。