#4 犬のいない店

 テーブルに散らばった紙片をつまみ上げて、こういうのは感心しないな、とオーガストが言った。
「……知らねえよ」
 俺はテーブルの上に突っ伏したまま、低く唸る。
 とは言え、今日は酔っ払っているわけでも、体調が悪いわけでもなかった。
 夢の中で俺を撃墜したあの白い機体が一体何なのかはいまだに分からないし、俺は相変わらずこいつを自分を殺した男だと認識しているのだが、それはそれとして、二日酔いでない時は復調してきている。いい加減、あの夢と自分の記憶との齟齬にも慣れてきた、ということなのかも知れなかった。
「ウィリアム」
 オーガストの声は窘めるような、咎めるような、とにかく俺の態度や行いに対して否定的な色合いを帯びてはいたが、声を荒げるでもない。
 この男の、こういうところが苦手だった。どういう顔でリアクションを取っていいか分からなくなる。怒鳴り返すのも、無視をするのも、自分がへそを曲げているだけのガキのように感じられて、ひどくばつが悪い。
 俺は体を起こして、オーガストをじろりと睨み上げた。オーガストはばらばらに千切られた紙を手のひらの上に集めながら、こちらを見返す。
「必要ねえだろ。うちの店は載ってなかったんだからよ」
「だからって、ものにあたるような真似はよくないだろう」
 よくないからなんだ、と反射的に言い返すのを飲み込み、俺は自分の髪をかき回す。
 その間にも、オーガストは紙片をすっかり集め終えて、屑籠の方へ持って行った。……その屑籠も、オーガストが置こうと言わなければ、この部屋には置かれていなかったものだ。
「それにこのランキングだって、売り上げを上げている店舗の傾向がすぐに分かるのだから悪いものじゃあないはずだ。
 何度か売り場に立ってはいるけれども、僕たちは商売に関してはまるきりの素人なんだし、いくらでも参考にできるだろう?」
 オーガストの言っていることはごくごくまっとうだった。まっとうだからこそ嫌気が差すこともあるのだということを、この若造は学んでもいい。
「んなことは分かってる。分かってるが……気に食わねえんだよ」
 俺が破り捨てたのは、『魔王』どもが出店した店を、売り上げや利益の順で並べたランキングの通知だ。正確には、オーガストが掲示してあったデータを書き付けて持ち帰って来たもの。
 何者がそれを集計し、掲示しているのかは俺は知らないし興味もなかったが、どうも俺にはそうして魔王を競わせているように見えるのが気に食わなかった。
 もっとも、それが理に適っているのは俺も分かっている。この世界を救う魔王を見出し、選別するのであれば、優れた魔王の店舗をほかの魔王に共有し、より最適化していくよう仕向けるのはおかしな話ではない。ハイドラライダーがそうやって順位付けされることによって、HCSに繋ぐパーツを最適化していったように。
「でも、ウィリアム……あなたもハイドラに乗っていたのなら、こうやって他人と比べて評価されることには慣れているだろう?」
 まさに俺の考えをなぞったようなオーガストの言葉に、俺は思わず身を硬くする。
 この男は、俺と違ってこれまでずっと、記憶の戻らない状態が続いていた。
 ただ、自分以外のことに関しては、まるっきり忘れているというわけではないらしい。ハイドラというものはいかなるものか、ハイドラライダーとはどのような連中なのかを、オーガストは知っている。
 だが、こういう口ぶりで話しているのを聞くと、もしかして、という疑心に駆られるのは避けられなかった。
 こいつは、全部覚えてるんじゃないのか。分かったうえで、知らぬ顔で俺に接してるんじゃないのか。
「ウィリアム?」
 怪訝な顔で、オーガストがこちらの顔を覗き込む。
 俺は我に返って、オーガストの顔を見返した。その胡乱な目つきは、嘘やたばかりをしているようには見えない。
 それに、もし記憶があるのであれば、こいつが俺に対して知らん顔をしている理由はない。
「昔は昔、今は今だろ。
 ハイドラに乗ってランク付けされるんだったらともかく、こんなことで評価されてたまるかよ」
「それはそうかも知れないけれど」
 でも、と、なおも言葉を続けようとするオーガストに、それ以上付き合う気にはなれなかった。俺は椅子を引いて立ち上がり、オーガストから身を離す。
「ウィリアム、あなたは店を投げ出す気にはなっていないんだろう。……なら少しでも、楽しもうっていう気にはなれない?」
「なれねえよ。少なくともお前とはな」
 オーガストは、咄嗟に俺の言葉の意味が取れなかったようだった。虚を突かれたような顔になったオーガストから目を背けて、俺は自分の部屋に向かおうとする。
「話は終わりだ。店を開ける時間になったら呼べ」
「待ってくれ、ビル」
「…………」
 かかった声に、俺は思わずオーガストを振り返った。
 オーガストは、俺の顔を見て驚いたようだった。首を竦めてみせ、
「あなたも、いつも僕のことを『オーギー』と」
 それは、そうだ。その通りだ。
 俺は答えられず、こみ上げてきたものを感じて口元に手をやった。今日は調子がよかったはずなのに、いきなり吐き気が喉元へ舞い戻っている。だが、その原因が分からなかった。オーガストの言う通り、ちょっと愛称で呼ばれたぐらいで、どうして俺はこんなに。
「嫌だったのならやめるが、それならどうしてあなたは」
「……知るかよ」
 何とか、それだけを絞り出す。戸惑った様子でこちらを見返すオーガストに今度こそ背を向けて、俺は逃げるように部屋へ戻った。


 犬を飼っていた。
 たぶん俺は、その犬のことが好きだった。
 けれど、俺は、何かを忘れている。
「うん、調子がいい。この分なら今回も利益が出せるはずだ」
 帳面を付けながらオーガストが店舗を見回し、暢気な調子で声を上げる。
 確かに、ここまでの売り上げはまずまずだった。この男が日ごろ真面目にマーケットで商品と睨みあって仕入れをしているだけあって、しっかり利益が出せている。ほかの魔王も勝手を掴んできたのか、ランキングに載るような店舗からは一段劣っているものの、悪くはない。
「……」
 俺は店舗の隅で椅子に沈み込んで、オーガストの横顔を睨み付けている。
 幸いと言っていいのか、調子を崩したのはほんの一時のことで、ベッドの上で寝転がっていたら十数分もせずに回復した。だからこうして、オーガストの「休んでいた方がいいんじゃないか」などという厭味を無視して店に出ているわけだが、売り上げがどうあれやる気はいつも通りいまいちだ。
 ハイドラライダーである俺が何で魔王なんぞやらなきゃいけないんだ、という苛立ちがひとつあったが、もうひとつ。
「……犬は」
「ウィリアム、またその話かい?」
 ともすれば暴れ出しかねない客たちを護衛たちが押さえ、無理矢理椅子に座らせ、あるいは益体もない商品を握らせて帰らせるのから視線を外し、オーガストは俺の方へ目を向ける。
 仕入れやその日の商品の陳列に関して、オーガストは俺に意見を求めるが、決定権はあくまでこの男にあって、俺の意見が反映されることは半々だ。そして、俺の要求の中で一つだけ、どうしても通らないものがあった。
「犬嫌いってわけじゃねえんだろうよ」
「あなたが『犬』と呼んだものを見た限りではね。嫌いではないはずだ」
 オーガストは頷いて、しかしその後ゆっくりとかぶりを振った。
「別に、犬を選んで弾いているってわけじゃないよ。
 でも、マーケットに並んでいる犬は、僕たちの店にはそぐわないことが多い。それはいつも確認している。
 もし店に合う商品か――もしくは護衛がいれば、仕入れることはするけれど、今のところはそうじゃない」
 これは今まで、何度もオーガストに言われてきたセリフだ。もはや、一言一句ほとんど違わない。
 俺はこの、オーガストの理路整然とした言葉に対する反論が思いつかず、今まで店舗に犬を無理矢理捻じ込むことをしてこなかった。さすがに、自分の好みだけで仕入れを決めるには、この男を説得するに足る屁理屈を組み上げるのは無理だったからだ。
 だが、今回に限っては違った。無理にでも、この店に犬を置いてもらう必要があった。
 今まで燻っていた焦燥が、より強くなっている。焦りの正体は見えなくても、その理由が俺には分かった。俺はあの夢を見てから、記憶がいくつもこの手に戻っては来たが、それは完全ではない。
「犬を、」
 オーガストがいつもの呆れ顔になるのにも構わず、俺は言葉を続ける。
「犬を仕入れたら、何かまだ、思い出すかも知れない」
「……本当かい?」
 記憶のことに関しては、さすがに流すわけにはいかないのだろう。さっと表情を引き締めて、オーガストが問い返してくる。
 俺は視線を彷徨わせ、返答に少し迷った。もちろん、確信があるわけではない。だが、どうしても意見を引っ込めるわけにはいかない。
 逡巡ののち、俺は根拠のない明言を避け、もう一枚、カードを切ることにした。
「分からねえ。けど、次の仕入れを俺の言うとおりにするんなら、思い出した記憶をお前に話す。今までの分も」
「…………分かった」
 しばらく沈黙した後で、オーガストはごく小さな声でそう答えた。
 おのれの記憶に関して、忘れたままでいることはできない。どうしても思い出さなければならない。それがなにか、自分の大切なことに関わっているのだということを、その衝動を、俺だけではなくこの男も感じているのかも知れない。
 俺はため息をついて、店舗を見回す。
 DRを模した小さな模型が、『客』に向かってふわふわと飛んでいくところだった。