#8 霧の中で

 一般論として、霧の濃い戦場では格闘機が、霧の薄い戦場では射撃機が有利とされる。
 そしてウォーハイドラは、戦場の状況に応じて自在にアセンブルを変更することができるという強みを持つ兵器だ。
 そうなると、ハイドラライダーは霧の薄い時は射撃を、逆の時は格闘を、と上手に使い分けてアセンブルを組み替える、とふつうは考えるだろうが、実際のところはそうでもない。
 多くのハイドラライダーは得意なアセンブルの傾向を持っていて、多少霧の濃さが変わったところでそれを変えない連中も多い。WHという兵器の長所を生かし切れていないぼんくらども……、とも言ってしまえるが、正直なところころころと機体のアセンブル傾向を変えるのはリスクでもある。
 ハイドラのパーツの組み合わせは無数にあり、戦場に合わせて有効な組み合わせを覚え、それらをすべて使いこなすということはそれなり難題で、もちろん、そういうことをきっちりやって戦場に対応していく連中が、エースだとかランカーだとか呼ばれるハイドラライダーとなっていく。……一方で、ひとつのアセンブルを突き詰めに突き詰めて上位を取る奴らもいるが、それはまあ、いわゆる変態。あんまり考えないでいい連中だ。
 俺もまた、HCSの仕様を十全に理解してアセンブルができている、と問われれば、怪しいところだと答えざるを得ない。それでも、パーツを更新するのにさえ相当時間のかかるDRよりはこれがよほどましな兵器であることは理解している。ハイドラのコックピットは操縦棺と呼ばれ、まったくその名のとおりそこがハイドラライダーの棺桶になることもあるけれど、それ以外の兵器よりは死ぬ奴の数はずっと少ない。
 ただ、今日の戦場は――これは、少しまずったような気がしていた。
 計器に表示される霧の濃度は、百パーセントを優に超えている。それにまた戦闘に参加しているハイドラの噴霧が加わって、周囲の状況はほとんどつかめない状態だった。
 『シェファーフント』に構えさせた速射砲の、その銃口の先がとっぷりと白い霧に飲み込まれているのを見て、俺は舌打ちする。『シェファーフント』は射撃寄りのアセンブルで、ろくな近接火器を積んでいない。いつもはそれでも戦えるのだが、今日はろくに敵が見えなかった。レーダーと頭部の走査スキャンを頼りに撃つにしても、精度を保つことが難しい。
《――ビル! 大丈夫か?》
「問題ねえ……それより、お前の方こそちゃんと部隊にくっついてんだろうな。前みたいに突進するなよ」
 入った通信に即座に返してから、こいつは誰だったか、と疑問に思う。
 どう頑張っても忘れられそうにないような相手のような気がしたのだが、咄嗟に名前が出てこなかった。あまりの霧の濃さに、さすがの俺も泡を食って混乱してしまっているのかも知れない。あるいは、気が付かないうちに霊障攻撃でも食らったか。いずれにしても一時的なものだと思いたいが。
《前に出過ぎるのは、ビルだってそんなに変わらないだろ》
「DRとハイドラじゃわけが違うんだよ。無駄口を叩くんじゃねえよ」
 幸いなことに、頭が惚けていても口が自然と動いていた。それに伴って、通信相手のこともぼんやりと思い出し始めている。そうだ。こいつはとんでもない馬鹿で、いつまで経ってもハイドラのライセンスが取れないもんだから、こうしてDRに乗っている。だから……
《『シェファーフント』、二時の方向に敵機の反応がある、DR隊が先行する》
 別の仲間からの通信。俺はレーダー図と視覚映像を見比べて、苛々と眉を寄せる。やはり、霧が濃すぎる。ミサイルでも積んでくりゃよかった。
「待て、霧が濃いんだ。こっちが射撃位置に入るまで出過ぎるな……」
 言い切る前に、スピーカーを通じて爆音が響く。それは、操縦棺の外から聞こえ伝わってきた振動と重なっているが、振動はまだ遠い。いやな予感が、背筋を這い上った。
《エンゲージした! ハイドラだ、多脚の……》
「脚は遅いはずだ! 距離を置け! 『シェファーフント』が向かう!」
《くそ、こっちの位置が完全に把握されている! どうやって……》
 毒づく声に、俺は眩暈を感じながらも操縦桿を引く。白い霧の中、相手にこちらの位置を完全に把握され、こちらは向こうを追いきれない。それがどれだけやばい状況か分かっている。しかもこっちのDR部隊は、お世辞にも性能のいいとは言えない旧型の機体を使用している。ハイドラ相手に太刀打ちできるものではない。
 だが、それ以前に俺の背筋をざわつかせているのは、形のない違和感だった。何か、話が違う気がしていた。
「おい、大丈夫か、お前……」
 濃霧の中、『シェファーフント』を走らせながら、俺は最初に通信を入れてきた男に対して声をかけていた。そのことにさえ、何かが違うと囁く声がある。
《ビル、心配しないでくれ! もう少し、持ちこたえられる》
「馬鹿野郎! さっさと下がれ! その機体じゃハイドラには敵わねえって…………」
 霧の向こうに見えた黒々とした影を見て、俺は息を飲む。
 巨大な機体だ。五本の長々とした脚の上にはでかい操縦棺が鎮座しているが、そこさえすっかり霧に飲まれていてよく見えない。こっちの画面には、二十メートル級という表示が出ていた。アセンブルと同じようにそのサイズも多岐にわたるウォーハイドラの中にあって、最大級の大きさ。
 俺はなぜか、そのハイドラに誰が乗っているか分かった。
「な?――何でだ? どうしてお前が?」
《……う、――ぶ……》
 問いに答えるように入った通信は、ひどくノイズがかっていて、何を言っているのか聞き取れたものではなかった。
 黒い操縦棺に搭載されたカメラアイが赤く輝き、こちらの姿を捉える。俺は反射的に相手に照準を合わせたが、なぜそんなことをしなければならないのかも分からない。こいつは、俺の敵に回りっこないはずだ。なのにどうして。
「待て! 俺は……待ってくれ、そんなはずないだろ。何で……」
 操縦棺の中にまで霧が入り込んできたのか、目が霞んで画面がよく見えなくなっていた。デカブツの脚が動き、こちらへ向かって歩を進める。脚に備え付けられた砲口が、『シェファーフント』に照準を合わせているのが見えた。こんなバカなことがあるか。
「くそっ! 待てって言ってるだろ、待て、待て……!」
 こちらの声が届いているのかも分からない。だが、相手の行動は威嚇ではありえなかった。俺はそんなことをしたくないと思いながらも、目の前のハイドラに銃口を向ける。あと十数メートル、近づいて来たら――そのラインを――黒い機体が――越えた。
「やめろッ!」
 叫んで、俺は引鉄を、


「――ダリル!」
 起き上がった途端に、自分が今まで夢を見ていたことに気がついた。
 息がすっかり上がっている。俺は汗だくになっているシャツの胸元を自分で掴み、辺りを見回した。
 薄暗い、狭い部屋だ。窓がなく、綺麗に片付けられていてどうも落ち着かない。扉はひとつだけ、締め切られていて、間からはわずかに明かりが漏れていた。手元に濡れた感触を感じて見てみれば、温くなったタオルがベッドの上に落ちている。額も濡れている感じがするから、恐らく俺の頭の上に乗っていたものだろう。
「何だ…………?」
 何が起こったのか、よく分からない。今まで自分が見ていたのが夢だったことに安堵を感じてはいたものの、それ以外のことが全く分からなかった。今まで何をしていたのか、ここがどこなのかもあいまいになっている。
「…………ウィリアム、目が覚めたのか?」
 扉の向こうから、問いかける声が聞こえてくる。聞き覚えがあるような、ないような。ただし、少なくとも俺の名前を知っている。
 こちらが答える前に扉が開いた。部屋に明かりが差し込み、俺は眩しさに目を細める。目が慣れず、逆光なのもあって、相手の顔はよく見えなかった。
「……大丈夫か? 気持ち悪くはない?」
「ああ……」
 頭を押さえ、俺は相手の問いにあいまいに頷く。実際、頭に濡れタオルなんかが載せられている理由が分からないほど、体調には問題はない。問題は、ここがどこだかも、この男が誰だかも分からないことだ。
「何があった?」
「あなたが、突然叫んで倒れたんだ。頭を押さえて――頭痛はないか?」
「ない……お前が、俺をここに運んだのか」
「そうだ。……ウィリアム、また、何か思い出したのか?」
 重ねて問いかけてくる男の眼差しは、なぜかどこか責めるようだったが、俺には何が何だか分からない。息をつき、俺は目を伏せる。倒れていた奴に、こいつは根堀り葉掘り聞きすぎじゃないのか。俺の方こそ、聞きたいことが山ほどある。
「――ダリルはどこだ?」
「え?」
「ダリル=デュルケイムだ。あのぼんぼん、どうしてるんだ」
「すまない、ウィリアム。あなたの言ってることが分からない」
 俺は嘆息した。なら、こんな男と話している意味はない。言っていることも要領を得ないのだ。
「頭を押さえて倒れたんだ。まだ寝ていた方が……」
「問題ねえ。ここはどの辺りだ? さっさと帰らねえと、チームの奴らも心配する」
「……ウィリアム、落ち着いて聞いてくれ」
「知らねえよ。金なら後で請求でもなんでも」
「そうじゃない」
 男は俺の手を掴み、力を込めて引き寄せた。何のつもりだ、と問い返しかけ、射貫くような男の目に俺は口を噤む。
「……あなたのハイドラチームはもうない」
 押し殺した声で、男は言葉を紡ぐ。一体、何の。
「僕があなたを殺した――あなたが、そう言ったんだ、ウィリアム」
 まだ悪い夢が続いているんじゃないのか、と思った。だが、男の顔は欠片も笑ってはいなかった。