計器類が一斉にアラートを吐き出し、『シェファーフント』の頭が吹き飛ばされたのを告げてから一拍遅れて、俺の頭もまた激痛と灼熱感に襲われた。
笑い話にはならないな、と思いながら、俺は弾が飛んできたと思われる方向へ向けて速射砲をめちゃくちゃにぶっ放す。当たったかどうかも、確認できなかった。俺は頭に触れて、おびただしく血が出ているのだけを確かめると、すぐにまた操縦桿を掴む。
まずい事態だった。
センサー類は完全に死んではいないが、残像領域の霧はそうしたセンサーを狂わせ、欺くことがある。
それを防ぐために、ハイドラはわざわざ頭であるとかレーダーを乗っけているのであって、もちろんそれは何も俺の機体の上に乗っていた――今しがた吹き飛ばされた――ものでなくてもいいのだが、頭部を破壊された時にどこか受信機までいかれたのか、モニタからはレーダー図が消えている。
通信も、送れど送れど返ってこなかった。敵と味方がころころと入れ替わる厄介な戦場で、間違いなく味方と断言できるチームの連中が、どれほど無事かも分からない。
退いた方がいい、という考えと、退くわけにはいかないという考えが同時に頭に浮かんで、まとまらなかった。
このぐちゃぐちゃの、死体が無数に積み上がった、何を得られるのかも分からない戦場で、これ以上戦う意味があるのか。
だが、ここで退いてしまったら、生き残っている連中を見捨てることになるんじゃないのか。
判断ができないのが、頭の怪我のせいなのか、ぶっ続けで戦い続けて疲弊しきっているせいなのかも分からない。
とにかく思考が散漫で、出撃を控えさせていたDR部隊を出していれば、ということさえ今さら頭の隅をかすめた。
ただ、あの間抜けをこの混沌とした地獄に放り込まずに済んだのは、恐らく正解だった。あとは、これから先だ。どうすれば、この状況から抜け出せるのか。
くそ、と毒づく声も、自分ではよく聞こえなかった。さっきの衝撃と爆音で、頭だけではなくて耳までいかれている。さっきから右目も血が入ってきてほとんど見えない。最悪だ。最悪だったが、俺のコンディションがどうあれ、戦場は動き続けている。頭の傷がどれほど深いのか、確かめる暇さえない。
それでも俺は『シェファーフント』を動かして、手近な敵に食らいついた――果たして、本当に敵なのか定かではない。弾を叩き込み、動かなくなったハイドラから離れると、鉄臭い唾を吐き捨てて、伸ばした腕の先さえ見えない深い霧を見通そうとする。
ミルク色の靄の向こう、遠くに、ちらちらと動く影が見えた。俺は息を吐いて、『シェファーフント』を前進させる。ハイドラライダーがぼろぼろなら、『シェファーフント』もほとんど死に体だ。まともに走ることさえ覚束ない。だが、ここで退くわけにはいかなかった。
見栄を張った以上、あいつのところに生きて帰らなくては。
オーガストの身体から力が抜けるが早いか、頭に激痛が走った。
顔に触れても、血も出ていなければ、傷の一つさえない。だが、痛みは確実にそこにあり、脳をぐちゃぐちゃにかき回す。
俺は床に頭をついて、何とか痛みをやり過ごそうとした。俯いているはずなのに視界が白み、自分が今見ている視界と、自分以外のだれかが見ている映像が重なって、ぶれていく。
オーガスト。
そうだ、オーガストだ。俺を殺したはずの男。いや、俺が殺したはずの男。
確かに、俺の撃った弾は、この男の乗った四つ脚のハイドラを、その操縦棺を吹き飛ばしていた。俺は、それを確かに見た。
だが、俺が今見ているこの光景は、確かに、そこにいるのは俺だ。オーガストもまた、『アンテロープ』の構えたヒートソードが操縦棺を捉え、向こうのハイドラライダーのからだが燃え上がるさまを見た。
相討ちとなって、俺たちは死んだ。
死んだはずだった、とはもはや言わない。俺はここにいる。オーガストも。どうしてかは分からないが、確かにここにいる。
だが、俺〈たち〉の身体を今動かしているのは、まったく別の。
「……ダリル……ッ」
映像がぶれる。
そこにいるのが見えている。見慣れた顔が、呆けたような表情でこちらを見つめているのが。だが、俺を見てはいない。ここに、俺がいると思っていない。
信じられなかった。もう二年も経っている。それを、そんな時間、俺はずっと、いったい何をしていたのか。
俺は、死ぬわけにはいかなかった。どうしたって死ぬわけにはいかなかったんだ。体が吹き飛ぼうが、何があろうが。なのに、あの女が、邪魔、を。
『エイビィ』
やめろ!
ダリルがその名を呼んだ瞬間に、弾き飛ばされるような感覚があった。
同時に、その姿も乱れて見えなくなる。視界がいつかと同じように真っ黒く染まり、闇の中に放り出される。
浮遊感の中、上も下も分からないまま、俺は必死に手を伸ばして、引きちぎられようとする意識、を、繋ごうと、
――青。
モニタが、真っ青に染まっている。
それがモニタの不調やエラーなどではなく、外の映像を確かに映したものであると気づくのには、少し時間がかかった。
操縦棺の中だ。見覚えのない、知らないハイドラの中にいるのだとすぐに分かる。飛行ユニットでも積まれているのか、機体は地から足が離れていて、反重力特有の居心地の悪い浮遊感があった。
しかし、この青い色は何なのか。残像領域では見たこともない、どこまでも鮮やかな色合い。
(霧が晴れて)
頭の中に降ってわいた声が、俺のものではないのも、俺の疑問に答えたわけではないこともすぐに分かった。
まとまらない、言葉にもなりきらない何者かの思考が、頭の中で垂れ流しになっている。そのたびに吐き気がこみ上げ、眩暈がする。それでも、ぶつ切りの単語の羅列は止まることがない。霧が晴れて、青空、に、まだ慣れない――ダリル=デュルケイムが、追ってきている、はず。
ダリル。
「――、ぐ」
呻き声が漏れた。
それは、俺の声ではなく、オーガストの声にどこか似ている、ように思える。
だが、オーガストではない。エイビィ、とダリルが呼んでいた男。
こいつが何者かを、俺は知っていた。ウジェニー=エッジワースが、駄目になったオーガストの代わりに焼き付けた、バイオノイド用の仮想人格だ。まともな人間のふりをして、この体の主として振る舞っている。
「……ッ、忌々しいったら」
『エイビィ』が口走ると同時に、操縦棺が大きく動く。
モニタに映る光景が、確かにその映像を読み取ったものであり、霧が晴れた後の残像領域の姿であることを、俺はこの『エイビィ』から読み取っている。
俺たちに、何が起こったのか、この二年間、何があったのか。ダリルが、俺を当てどなく探し回っていたことも。
ダリルが、俺を待っている。帰らなければならない。そのためなら、俺は何度でも、
「だま、りなさい、……黙って……!」
その苦鳴が、明確に俺に向けられたものであると分かると、よりいっそう意識がはっきりとする。と同時に、また吐き気もこみ上げてくる。体は思い通りには動かなかった。まるで、他人の身体の中にいるようだ。どうにかして、こいつのことを殺さなくては、残像領域に戻っては来れない。
声も上げず、『エイビィ』が操縦桿を大きく引いた。同時に、やつの動揺を感じ取る。ウジェニー、と声に出さずに『エイビィ』が悲鳴を上げた。モニタに拡大されて表示されているのは、黒い不死鳥のエンブレムをつけた、運搬用の航空機。
――また同じことをするつもりか。
その思考の意味を取った瞬間、頭の中が真っ白になるのを感じた。
それは恐らく、やつも同じだったのだろう。ハイドラが武器を振り上げて、猛然と航空機へ向かって降下していく。だが、ブレードを振り降ろす直前、航空機を庇うように巨大な黒いハイドラが間に機体を捻じ込んできた。『ステラヴァッシュ』
《何をしているんだ、あんたは……!》
「邪魔を……するな、ダリル! そいつは、そいつらは……ッ!」
瞬間、口を突いて出たのは、果たして俺の言葉だったのか、それとも、『エイビィ』のそれだったのか、分からない。
《ビル……!》
だが、ダリルがそう叫んだ瞬間、再び目の前が暗転する。絶叫が迸る。そして同時に。
「――ウィリアムッ!」
吐瀉物に塗れたオーガストが、必死の形相で俺の襟首を掴んでいる。
店の中だった。先程から、何も様子は変わっていない。何が起こったのか、オーガストが生きていることを安堵すべきか、ただ、邪魔をされたということだけは理解できた。こいつが、俺をこちらに引きずり戻したのだ。
「ウィリアム、もうやめるんだ、これ以上……」
「何の話だ……」
「とぼけないでくれ、ウィリアム――僕たちは、死者なんだ! これ以上、〈彼〉に関わることなどない!」
「ふざけるなッ!」
オーガストの腕を掴み返し、俺は顔を歪めた。
死者などと、そんなことは分かっている。オーガストも、俺が分かったうえで行動していることなど承知の上だ。そのうえでこいつがこういう物言いをするのは、ただ怯えて音を上げたにすぎない。この頭をかき回される苦痛に! だが俺は違う。
「諦めるのはてめえの勝手だ! 俺を道連れにするな!」
「それは、違う、〈彼〉を殺して、生き返ろうなんて方法は、間違っている……」
「お前だって人殺しだろうがッ!」
叫んだ途端、再び頭に激痛が走った。オーガストもまた、呻き声を上げてその場に膝を突く。
だが、それに構っている余裕もなく、オーガストの姿はぶれて、見えなくなった。