#10 二枚のライセンス

 夢を見ていた。
 俺は『シェファーフント』に乗って、見覚えのないウォーハイドラと戦っている。
 五つの脚を持つ黒く巨大なそのハイドラは、どこか生き物然としていながら例えられる動物が思いつかない、奇妙な風体をしていた。
 広大な荒野の真ん中で、主のように大地の上に陣取って、霧の中をゆっくりと前進しながら、無数の火線を辺りに振りまいている。まるで小さな要塞が如しだ。
 そして、そのハイドラを相手取る俺は、まったく『シェファーフント』を扱いきれていない。夢の中だからなのか、確かに操縦棺に座り操縦桿を握っているはずなのに、自分の意図通りに手足が動かないのだ。『シェファーフント』は俺の意志など関係ないように動いてはいるものの、まともな動きにはなっていない。まるで、別の人間が動かしているようだった。ぎこちない動きをする『シェファーフント』の装甲が、相手のハイドラが放つ銃弾や、火炎や、ミサイルにじりじりと削られていくのを、俺は苛々しながら眺めていることしかできない。
 どうも違和感があるのは、あちらが『シェファーフント』の機動性を高く見積もっているように感じることだ。銃弾がこちらを追いかけるのではなく、行く手を塞ぐように叩き込まれている。
 そして、こちらの動きも実際、高機動のハイドラを動かしているようなくせがある。それでどうも、お互い噛み合わない戦いになっているように感じられた。だが、命拾いをする場面はいくつかあれど、追い詰められつつあるのは間違いなくこちらの方だ。このままでは、装甲を削られてジリ貧だろう。
 分かっているのに、思うように体が動かない。気持ちばかりが焦っていく。
《……ッ……》
 ヘッドフォンから、通信が滑り込む。向こうのハイドラからのものだろうか、ひどくノイズがかり、何を言っているのか聞き取れない。
 脳裏に浮かぶのは、ハイドラライダーの間で時々話題になる、ゴーストと呼ばれる幽霊機体のことだ。
 霊障がひどくなると、撃墜され、主を喪ったハイドラのHCSに動力が回り、ひとりでに動き出すことがあるという。そして、だれも乗っていないのに、雑音にまみれた通信を入れてくる。霧の中に溶け込んだ死人の思念がハイドラごと固定化される残像とは、撃墜されたナマの機体であるという点で異なっている。……そういう目で見れば、向こうのハイドラはとてもゴーストとは思えなかった。こちらの撃った弾が大してダメージを与えられていないのもあって、ムカつくぐらい傷がついていない。あんな鈍足のハイドラ、『シェファーフント』をまともに動かせさえすれば、どうとでもなるのだが。
《……した、AB……》
 再び入った通信は、意味は分からなかったが、何とか声を聞き取ることができた。聞き覚えのある声だ。
 だが、奴がウォーハイドラに乗っているはずはない。聞き間違えだ、と思った後で、そもそもこれは夢だと思い出す。夢の中でも、奴に遅れは取りたくないのだが。
 考えるうちにも、『シェファーフント』からは装甲が失われていく。
 自分で毒づく声も、爆音に紛れて聞こえはしなかった。あるいは、口すら動いていなかったのかも知れない。何とも、不自由なものだ。そういう夢だと言ってしまえばそれまでだが、腹立たしいものは腹立たしい。
「……あ。」
 と。
 不意に、口から声がこぼれ出る。
 その声は、明らかに俺のものではない。
 ――これは、俺ではない。
 そう思った瞬間に、目の前が暗闇に閉ざされた。
 崖から突き落とされたような、奈落の底へ落ちていくような浮遊感に、俺は咄嗟に頭上へ向けて手を伸ばす。
 今までのことがすべて嘘だったかのように、腕は自分の意志通りに動いた。
 だが、その指先は、暗闇の中、何かを掴むことはなかった。


 忌々しい店の、忌々しい客どもに囲まれながら、忌々しいオーガスト=アルドリッチが店の様子を眺めている。
 いけ好かない若造だ。人の顔を窺うようなところがある割には、妙にずけずけものを言ってくるところがあって、可愛げの欠片もありはしない。
 もともとオーガストと一緒にこの店を経営していた俺――記憶を失った〈魔王〉としてのウィリアムは、オーガストが自分を殺した、と記憶していたらしいが、当然俺にそんな記憶はなかった。
 ただ、ハイドラライダーとしてこの男に後れを取ったのかも、と考えるだけで、腹立たしい気持ちにはなる。
 それに、記憶を失っていて俺とは違いまったく記憶を取り戻す気配のないオーガストは、何かと記憶のことについて俺に質問してくる。しかも、やたらとプライベートなことまで含めて。俺に対して遠慮してございという顔をしておきながら、どうもこの男はデリカシーとか配慮に欠けている。もしかしたら、俺を舐めているのかも知れない。……そう考えると本当にムカついてくるな。
 俺がこのムカつく男とまだ〈魔王〉として店を経営し、だらだら一緒に暮らしているのかと言えば、単純にこの世界にほかに行く当てがなかったからだ。
 企業連盟も、ウォーハイドラも、DRすら存在しない世界。
 元のウィリアムも同じような理由で店舗の経営には乗り気ではなかったらしいが、恐らく同じような理由で出て行かなかったのだろう。やる気がないのにひとりで店を経営するのはあまりに面倒だった。なら、その面倒な部分をこの男に引き受けてもらって、俺は元の世界に戻る方法を探せばいいわけだ。
 足元にすり寄ってきた犬を見下ろして、俺は嘆息した。
 店の中に延々湧き出る犬どもは、ほかならぬ俺が欲しがったものらしい。記憶を取り戻すために必要だから、と。そういう部分では大して成果は上がらなかったが、代わりに思いもよらない売り上げが出て、オーガストは店に犬を置いたままにしている。
 犬を飼っていたはずだ、と俺は言ったのだという。その犬が、どんな犬だったのか、思い出せなかったのだと。それで、これだけの山ほどの犬を店の中に集めたのだから、俺もまったく女々しいものだ。
 俺が思い出したかった犬は、ガキの頃に飼っていた、あの犬のことではなかったはずだ。
「……」
 まとわりついていた犬は、少しすると満足したのか、尻尾を振りながら軽やかに離れていった。
「オーガスト」
 声をかけると、オーガストは目を瞬かせ、意外そうな顔になった。そりゃそうだ。目が覚めてから今日までの短い間、この男には何度も話しかけるなだとか近づくなだとかこっちを見るなだとか何かと文句を言ってある。それが、俺から声をかけたのだから、どういう風の吹き回しか、とも思うものだろう。だが、話しかけた理由をいちいちこいつに説明するのも億劫だ。
「お前、その指輪以外に、元々の持ち物は一つもねえのか」
「――そうだな、着ていた服と、この認識票ぐらいだ。
 それと、指輪ははじめからつけていたわけじゃなくて、こちらに来てからしばらくした後で、いつの間にかつけていたんだ」
 オーガストは首からかけたドッグタグを軽く指で示して見せた。何も付け加えないところを見ると、大したことは刻まれていないのだろう。ちらりと目を泳がせて、こちらを見つめる。
「何か探しているのかい?」
 こういう、察しよく話を先回りしてくるところがこいつは鬱陶しいのだ。
「ライセンスだ。ハイドラライダーなら、当然持っているはずのものだ」
 残像領域は、霧を通じてほかの世界と繋がっている。
 この世界は理屈は違うが、やはりほかの世界から訪れた連中が魔王をしていることもあるらしい。俺やオーガストも、その中の一人というわけだが。
 俺はそういう世界の移動について、まったくと言っていいほど知識がない。世界を移動する力のある魔王、とかに手を借りればいいのかも知れないが、それならもう少し待った方がいいだろう。
 周りの魔王の話によると、どうも世界はあと数週ののちに滅ぶ運命らしい。
 俺たち魔王はそれを防ぐためにどうにかこうにか店を経営しているというのだが(どうも世界観が狂っている)、それが叶わないとなれば、余所に逃げる魔王もいるはずだ。逃げるのについて行きたいと言う方が、何でもないときにほかの世界に連れていけというより通りやすいだろう。
 それはそれとして、ほかの準備をしておきたいという気持ちもあった。
 元の世界に戻るにも、ハイドラがあった方がいい、と考えたのだが、ハイドラを操縦するためには、俺たちにはそもそもなくてはならないものが欠けている。俺たちハイドラライダーは、ライセンスさえあればどうにかハイドラを調達できるが、ハイドラがあってもライセンスがなければHCSが起動しない。
「僕はそもそも、そのライセンスがどういうものなのかは分からないんだけれど」
「はあ? お前、ハイドラライダーだったんだろうが。マジかよ」
「生憎、ずっと記憶喪失なんだ。ウォーハイドラやハイドラライダーに関していくつか思い出したことはあるけれど、完全ではない。
 自分が乗っていたハイドラについてだって、あなたから聞いたんだよ、ウィリアム」
「……そんなに特殊な形をしたもんじゃない。
 少なくとも俺が持っていたのは、これぐらいのカード型で、載せる情報もドッグタグとそんなに違わねえよ。顔写真が載ってるぐらいだ」
 言いながら、俺は指でカードの大きさを示して見せる。だというのにオーガストは俺から視線を逸らし、明後日の方向を見つめていた。
「おい、若造、人が説明してるんだ、ちゃんと」
「……ウィリアム、もしかしてそのライセンスって」
 俺はその言葉を聞くが早いか、慌ててオーガストの視線の先を目で追った。
 忌々しい店の、何ということのない床。
 そこには確かに、二枚の、カードが。