#10EX 密談、あるいはパーツの取引

 眼下に目的地を収めたエイビィは、霧けぶる向こうに見えるべきはずのものが見えないことに気が付き、訝しげな顔になった。
 ――リーンクラフトミリアサービスと言えば、残像領域では名の通った整備屋である。その店主は、ウォーハイドラの修理やメンテナンスの手腕だけではなく、パーツの制作者としても評価が高い。特に、出力の大きいエンジンや軽量ながらも堅固に作られた操縦棺は、型落ちとなってもハイドラライダー同士の個人的な取引の場に上ってくるほどの品だ。実際、今の『ライズラック』にも、『エフェメラ』と名付けられた操縦棺がアセンブルされていた。
 その腕っこきの店主――ニーユ=ニヒト・アルプトラから、次の戦場について打ち合わせの打診があって、エイビィはこうして彼のガレージまで赴いている。
 だが、約束の時間までもうほとんど時間がないのにも関わらず、通常ならばガレージの横、収まりきらずに鎮座しているはずの二十メートル級ウォーハイドラ、巨大な蟲の如き『ベルベット・ミリアピード』の姿が見られなかった。
(呼びつけておいて、出かけている?)
 その推量も緩やかに降下し、ガレージの様子がはっきりと見えるようになるにつれて否定される。
 ガレージの入り口の前に、体格のいい、人の好さそうな顔をした青年――くだんのニーユ=ニヒトが、客を待ちかねたようにして佇んでいた。と言っても、ずっとそこに立っていたわけではなく、ミストエンジンの駆動音を聞きつけて出てきたのだろう。しかし、それならばミリアピードがいない理由がなおさら分からない。
(――まあ、彼に直接聞けばいいことか)
 エイビィがひとりごちるうちに、『ライズラック』は『翅』を閉じきり、その脚で大地を踏みしめた。


「こんにちは、ニーユ=ニヒト。待たせたかしら?」
「あ、いえ。大丈夫です、お待ちしておりました」
 操縦棺から降りたエイビィを出迎え、ニーユ=ニヒトは佇まいを正した。その右腕の肘から先がないことに向き合って初めて気が付き、エイビィは目を瞬かせる。彼が義肢を用いていることは以前から知っていたが、こうして外しているのを見たことはなかった。
「いつもの目印がないけれど、整備中?」
「はい。久々にちょっと、全体的に手を入れなければならなくなったので……」
 どこかはっきりしない言い回しをする。『ベルベット・ミリアピード』は前に出て壁になる役割を負うことが多い機体だが、その巨体に見合った分厚い装甲を通常備えており、そうそう大きく傷つけられることはない――はずだ。
「あら、あの娘は大丈夫? あなたの腕がないのもその関係かしら」
 『ベルベット・ミリアピード』に少女のAIが搭載されていることを思い出し、エイビィは首を傾げる。
「それもあって相談したいことがあったので、声を掛けさせていただきました。わざわざありがとうございます」
 しかし、ここでもニーユ=ニヒトは直接的な説明を避けた。頭を下げて話を打ち切り、こちらに背を向ける。
「あなたの僚機とはともかく、あなたとは『食い合わせ』はそれほど悪くないもの。相談なら受けるわよ」
 話したくないのか、込み入った事情を後で説明するつもりなのか。先導するニーユ=ニヒトの背に声をかけ、エイビィはため息を噛み殺した。とにかく、話は中でするということだろう。
「……」
 招き入れられた先には、知らない顔が待っていた。
 こちらも若い男だ。ニーユ=ニヒトにも僚機がいるが、そちらのハイドラライダーは確か少女であったはずだし、次のブロックに出撃するハイドラライダーの中にもいない顔だ。つまり、彼が何者か、エイビィには見当をつけることができなかった。何か調べ物でもしていたのか、書類の束を目の前に積んでいる。
 それを端に避けて、男は笑顔で立ち上がった。エイビィは胡乱な表情を消して、笑い返す。
「どうも、初めまして。暁科学工業のアーサー・メイズ・アルフェッカと申します」
「どうぞよろしく――エイビィよ。『シルバーレルム』のハイドラライダー」
 名乗る男に肩を竦めて答え、エイビィは何も言わずに離れていったニーユ=ニヒトの方をちらりと横目で見た。ハイドラライダーの中でもとりわけ物腰が柔らかく、弱気とさえ言える向きのある男だが、何の説明もなく第三者をこうして打ち合わせに同席させようとは、ある意味いい度胸だ。あるいは、そうしたことの必要性に頭が回っていないだけかも知れないが。
 アーサーに促され、対面の椅子に腰かけて、エイビィは改めてニーユ=ニヒトの方へ目を向ける。片腕のまま器用に、というべきか、こちらに戻ってくる彼の手には、人数分のカップを載せたトレーがあった。
「エイビィさん」
「あら、ありがとう」
 トレーをテーブルの上に置き、紅茶の入ったティーカップをそれぞれの前に置くニーユ=ニヒトに、エイビィは気のない口調で礼を言う。
 ニーユ=ニヒトはこちらの呆れ顔に気が付いているのかどうか、スティックシュガーを躊躇いなく手に取りながら、
「今回お呼びしたのは、こちらの都合に依るところが大きいっていうか、その……私は普段と違うことをするので、っていうのが、あって」
「ずいぶん持って回った言い方をするのね、普段と違うことって?」
「……はい。あの、えっと、人の機体を借りるので……アーサーと一緒に打ち合わせができればと」
「俺が希望したのもありますけれどね。何せ戦場に出るのは久しぶりなもので」
 話が見えない。巨躯を縮こまらせ、いつにもまして妙におどおどしているニーユ=ニヒトの横で、アーサーがさらりと言うのに、エイビィは眉根を寄せた。こちらの視線から逃れるように、青年はさらに身を丸める。
「……えっと、はい。私とアーサーは、コロナ・メリディアナっていう大型の逆関節機体に乗ります」
「元々輸送用のハイドラなんで、後ろに下がり気味で行こうかと思ってましてね。なので前は任せます」
「ああ、成る程」
 再び、アーサーがニーユ=ニヒトの言葉を補足したところで、エイビィはようやく得心の言ったように声を上げた。
「ようやく分かった。複座式で行くのね。後ろに下がるってことは……」
「……支援に回るつもりで……」
 消え入るような声で言う。
 確かに、いつもとは違うハイドラライダーを戦場に引き入れ、異なる戦闘システムを取ろうとするのであれば、大々的な告知や連絡はできなくとも――そもそも、ハイドラライダーの中にはそのアドレスを他人に知られたがらない連中もいる――、一人ぐらいには話を通しておきたいと思うのが人情だろう。
 ただそれにしても、このニーユ=ニヒトの態度は妙だ。
「ミリアピードはそんなにひどいの? 次の戦場に間に合わないなんて」
「ああそりゃ、ひどいもんですよ。あのサイズのを一度全解体しなきゃいけないくらいに……メカニックの端くれみたいな俺が見ても分かる」
 答えたのはアーサーだった。ニーユ=ニヒトとは言えば、こちらの問いにあからさまに目を逸らし、声を発しようともしない。乗っているウォーハイドラを手酷く傷つけられ、意気消沈している――にしても、次の戦場に他人のハイドラを借りてまで出撃しようとしている男にはとても見えなかった。
「ああ、あと。ニーユ」
「はい。うちから空挺攻撃と航空支援の要請を、出します」
 空挺攻撃と航空支援。どちらも、最近要請できるようになった外部の部隊だ。人員と航空機はどこからでも揃えられる、という話だが、実際に戦場に配備するためには、何より金がかかる。
「ずいぶんと奮発するのね。戦場の見通しがよくなるのはいいけれど」
「使えるものは使い倒しますよ。まず俺が死にたくないので」
 いつもと違うハイドラに、いつもと違う役割。『いつものニーユ=ニヒト』と『ベルベット・ミリアピード』のいない戦場に不安を感じているということだろうか。
「そういう考えならいいわ。死にたい人間と一緒に戦いたいとは思わないもの」
「……よろしくお願いします。最低限、足手まといにはならないように立ち回りますから……」
 多少しっかりしていたニーユ=ニヒトの口調は、またどこか、縋るようなものに戻っていた。エイビィはティーカップを取り上げて、一つ息をつく。
「次も霧深い戦場だもの。支援に徹して足手まといということはないでしょう。
 あなたって、どうやったら自信がつけられるのかしらね。いつもの機体じゃなくて、不安に思うのは分かるけれど」
 冷め切った紅茶を飲み下して、エイビィは苦笑する。
 ニーユ=ニヒトは、ただ戸惑うような、落ち込むような、微妙な表情をしていた。


 結論から言えば、次の戦場について、ニーユ=ニヒトからエイビィに要求することも、その逆もなかった。
 役割は重ならず、ニーユ=ニヒトとアーサーの乗る『コロナ・メリディアナ』は支援に徹し、『ライズラック』もいつもの攻撃役を果たすだけだ。
 どちらかと言えば、『ライズラック』以上に前がかりなニーユ=ニヒトの僚機の方がエイビィには気になったけれど、そちらのアセンブルについてはガク=ワンショット以上に口を挟む隙がないように思えた。そもそもこの場にはいないのだし、エイビィが何か言ったところで、この男はそれを彼女に伝えはしないだろうとも。
「あ、そうだ、エイビィさん」
 互いの戦闘システムとアセンブルについてだけ簡単に確認し、帰ろうとしたエイビィに、ニーユ=ニヒトが思い出したように声をかけてくる。
「操縦棺もついでに持って帰ってもらえると、助かるんですけど」
 相変わらず、躊躇いがちな口調だ。エイビィはニーユ=ニヒトの方を振り返って、ああ、と声を漏らす。その件については、打ち合わせの以前に連絡を受けていた。リーンクラフトミリアサービス製の操縦棺。ハイドラ大隊でも評価の高いましな棺桶だ。
「助かるのはこちらだわ。型落ちのレーダーと引き換えに、あなたの操縦棺が手配できるなんて。何か、取引のアテが外れでもした?」
「そんな感じです。脚を変えるから、もう軽い操縦棺じゃなくてもいいって話で……」
 頷く青年の、肘の先の空間に目を向けながら、エイビィは知り合いのハイドラライダーから受けた依頼のことを思い出していた。ニーユ=ニヒトとは共通の知り合いだ。もしかすると、彼のことかも知れない。
「……ところで、前の戦場で何があったか聞いてもいいかしら?」
 問いに、ニーユ=ニヒトはまた、気まずそうに目を泳がせた。話題を逸らすか、はぐらかすか、また言い訳を探しているのだろうか。エイビィは嘆息する。
「ミリアピードの状態、戦場のこともあるでしょうけど、何か無茶をしたんじゃなくて?」
「……俺は覚えてなくて……けど機体見たら俺は嫌でも分かります、俺が何をしてたかくらい」
 わずかな沈黙ののち、ニーユ=ニヒトは薄暗い顔でようやっとそう吐き出した。
 だが、顔はこちらに向けないままだ。息を吐いて、続ける。
「けど俺はほんとに、そうしたかったんじゃないか、って、思って、――次だってそのままでもいいんじゃないかって思ったけど、……それは、……できたら俺は次の戦場に出たくない気持ちだってありますけどその」
 堰を切ったように、というにはその話はしどろもどろで、要領を得ない。
「俺は……俺にだって、守りたくないものくらいあります……」
 ただ、視線を彷徨わせ、ようやっとそこに辿りついた、というように吐き出したその言葉は、それなりに真に迫っていた。
 あるいは、別のウォーハイドラを手配し、戦闘システムを変えて出撃しようとするのは、それが理由なのかも知れなかった。ティタンフォートは防衛的な戦闘システム。味方を取りこぼさず護ろうとする、戦場の盾。
 ニーユ=ニヒトはがっくりとうなだれた。まるで、その言葉を口にしたことで何か、取り返しのつかないことをしたようでさえあった。
「ごめんなさい。関係ない話、です」
「ええ、あなたがしたいようになさい。誰かに強制されて前に立っていたわけではないでしょう?」
 ハイドラライダーがウォーハイドラを駆り、戦場においてある役割を担うのは、それによって得られる評価と金のためだ。
 その役割について、それ以上のものを求める人間については、エイビィの理解の範疇の外にある。たとえば、誰も死なせたくないとか。それを手放す苦悩については、想像さえできない。興味もなかった。……だが、
「フフ……でも、その言い振り、次の区画に、死んで欲しい人間でもいるのかしら?」
 それが、迂遠な殺意ならば分かりやすい。
 ふと思いついて口にした問いに、ニーユ=ニヒトは分かりやすく表情を変える。
「図星なの?」
「……」
 青年は沈黙したまま、ゆっくりと頷いた。エイビィは笑声を漏らし、口元に手を当てる。
「あはは、成る程ね。そうねえ、こんな仕事をやっていたら、死んで欲しい奴の一人や二人いるものよね」
 くすくすと笑いながら、エイビィはニーユ=ニヒトの顔を覗き込んだ。俯いたままの青年は、ひどく気が滅入った顔をしながらも、ゆるゆると目を合わせる。
「死ぬといいわね、そいつ」
「……はい」
 そんな顔をしておきながら、こちらの言葉を首肯したのは、少し意外ではあった。
「とにかく、了解よ。パーツも手に入ったし、あなたの次の戦闘システムも知ることができた。
 面白い話も聞けたから、今日は満足だわ。それじゃ、今日はこれで」
 言って、エイビィはニーユ=ニヒトから身を離した。
 青年は薄暗い表情のまま、躊躇いがちに顔を上げる。リーンクラフトミリアサービスの主人、優秀なパーツ職人、ハイドラライダー。気弱な男。この男が死んで欲しいとまで思うのが、どんな人間なのかを、エイビィは考えている。
 その『死んで欲しい奴』以外に誰かが次の戦場で命を落としたら、彼がどんな顔をするのかも。
「……よろしくお願いします。エイビィさん」
 そのことに想像が及んでいるのかいないのか、ニーユ=ニヒトは、それだけ言って頭を下げる。
「ええ、うまくいくといいわね、ニーユ=ニヒト。次は楽しい戦場で」
 エイビィもまた、決まり切った文句でもって返し、彼に背を向けた。


 引き取ってきた操縦棺を『キャットフィッシュ』の格納庫に置き、そこで初めて、エイビィは『ライズラック』の中で苦い顔を作った。本来はこの手に入るはずではなかったパーツ。
 ニーユ=ニヒトはこの棺の名を、『ガイナード』と言っていた。
(意図などない……はずだけれど。嫌なものね、こうして見ると)
 使っている素材の関係か、上下二色に染め上げられたその操縦棺を見て、エイビィは我知らず腰に指先を添わせ、陰鬱にため息をついた。